12.24.2009

ちっともレヴューにはなっていない、スズモのフィルム・レヴュー、No.1879

ども〜。
ツイッターには3日で飽きちゃったね。3日坊主、というか、覚えたらそれで満足したという。
さて、クリスマスに年の瀬か。ぼくはいっそのこと両方とも無視して寒い冬の中央分離帯を突っ切ろうと思ってるんだけど。ま、チキンくらいは食べるかも。それと、年賀状くらいは買うかも(出すかどうかはともかく)。……あ、掃除もさせられるか……。この間、掃除グッズを買ってたもんなあ……。

えー、最近、映画館と試写で観た映画をざっと乱暴に紹介。スズモの不定期フィルム・レヴュー。

まずは、『脳内ニューヨーク』チャーリー・カウフマン脚本・監督。
じつは東京でのロードショーはもう終わっちゃったんだけど。文句なしに五つ星。観終わってから15分ほど渋谷の街をさまよい歩いた、すぐには自分の生きる日常に戻っていけなくて。今年のベスト3には絶対に入る。ここ5年のベスト10にも入るな。ほんとはぼく、基本的には非リアリズムの作品って好きじゃないんですよ、映画に限らずね。スターウォーズとか千と千尋の神隠しとかについて行けないタチなわけ。かつて学生時代、インディ・ジョーンズを普通に料金払って映画館にまで観に行って途中で眠った男だからね、いっしょに行った友人には呆れられたけど。まあ、SFとかアニメとかファンタジーとかまでいかなくとも、現実的にあり得ないシーンが出てきたり、あまりにもつじつまが合っていなかったりすると、女の子の脛毛を目の当たりにした時みたいにあっさり白けるわけ。夢のない男なの。狭量な男なの。関係ないかもしれないけど寝てる時に見る夢も夢のくせに妙にリアルだしね。空を飛んだり妻の骨をしゃぶったりできないんだよ、おれ。たぶん、悲しいことなんだろうけど。が、しか〜し! とりわけ『マルコヴィッチの穴』がそうだったけど、カウフマンは別だね(ついでにいえば、ディヴィッド・リンチも別)。リアルかどうかはどうでもよくなる。というか、彼の脚本って非リアル世界の前提となっているシチュエーションと感情が怖いくらいにリアルなんだよね。少なくとも愛と死と芸術について考えたことのある人なら、ぐっとくるはず。たぶんだけど、胸をかき乱されるはず。俳優陣はほとんどが中年だけどみんな素晴らしい。ジョン・ブライオンの音楽も素晴らしい。まだロードショーの続いてる都市の方は急いで。関東地区や終わってしまった都市の方はDVDが出るのを待って。

それから、試写で観た『フローズン・リバー』コートニー・ハント脚本・監督。
一般公開は来年1月末だそうだけど、ぼくが2009年に観たという意味では、これも今年のベスト3に入れたい(ということは、あともう一本はやはり『レスラー』ということになるか)。いや、入れたい、どころか、いっそナンバーワンにしてもいいくらいだ。うんそうしよう、ナンバーワンにしよう。発表します。ぼく(おれ、わたし)、桜井鈴茂が2009年に観た映画のナンバーワンは『フローズン・リバー』です。はい、たしかに、コートニー・ハントという女性監督の長篇デビュー作であり、有名な俳優が一人も出ていないインディペンデント映画である、ということで、判官贔屓はあるけど。つーか、そんなのあって当然か。……少しだけ内容に触れると……いや、やめておこう……面倒だし。ようするに、貧困と犯罪ってのが縦糸で、親子の愛情と母親同士に芽生える友情ってのが横糸。これらに、アメリカ社会における民族的マイノリティーというインクを染み込ませて、淡々と、かつ、丹念に、けっして喜劇にも悲劇にも流れることなく、ひたすらニュートラルに縫いあげていった大傑作。とくに、豊かな社会における貧しい暮らしとその悲哀をこれほど生々しく描いた映画をぼくは知らない。ま、だから、社会的な、とも言えるんだけど、それ以上にどこまでも芸術的。ようするに、レヴェルの高い芸術作品ってのは、現実の社会問題をカヴァーしちゃうキャパがあるってことだと思う。……あ! 今、手元にあるフライヤーをちら見して突然に思い出したけど、コーエン兄弟の『ファーゴ』の匂いもある。……けど、この『フローズン・リバー』の前では『ファーゴ』さえ霞む。ダニエル・ジョンストンの前ではポール・マッカートニーも縮むのと同じだ。……いやまあ、とにかく、素晴らしいんだよ! ぜひ、観て! 

最後に、これも試写で観た『抱擁のかけら』ペドロ・アルモドバル脚本・監督。
……なんだが、だんだん疲れてきたし(じつはカゼをひいてしまい)、こちらは1月25日発売の「クロワッサン」誌に寄稿したので、そちらをお読みください。もちろんそこでは、こんなブログの主観オンリーの言いっ放しじゃなくて、ちゃんとストーリーにも触れてるし、少しはレヴューらしくなっているはずなので。一言だけ言っておくと……なんてったってアルモドバルだからね。最高級のメロドラマだよ!

それと、前回も書いたけど、今週土曜26日午後4時から、シンガーソングライターの中村ジョーくんと、下北沢のギャラリー&カフェcommuneでトークするので、良かったら遊びにきて。

それでは。
メリークリスマス。
鼻水とまらないよ。

12.16.2009

Talk@Commune

こんにちは。やっと冬らしい寒さ。押し迫ってきたな2009も。実感はないけど。というかあえて視界に入れぬように。

昨日、友人に、Twitter超面白いよって猛プッシュされてさっそく入会……入会って大げさか、とにかくはじめた。まだ面白さはわからぬ。いや、わりに面白いかもという予感はある。そうそう、2ヶ月くらい前にiPhoneに変えたのね……変えたんだけど、ごくふつうの携帯電話端末として使ってた。せっかくだし、まあちょっと、新しいコミュニケーション宇宙をさまよってみるか、と。

それはそうと、緊急なニュース。12月26日土曜の午後、下北沢のcommuneというギャラリー兼カフェ(正式にはなんていうんだろう?)で、シンガーソングライターの中村ジョーくんとともにトークショーをやります。2009年に出会った素敵な本や音楽や映画やその他について語ってくださいとのことなので、まあゆるゆるとお話しします。ジョーくんは弾き語りも披露してくれるみたい。気軽にお越しいただけると嬉しいです。

今日は取り急ぎ。
さてさてツイッタ―笑

12.04.2009

ダイナミズムとはロマンチシズムが

あれあれ、気がつけば、師走に入ってる。早すぎるっての。参るね。

とくに書くこともないんですわ。失意にひしがれている毎日です。などと書いても、冗談に聞こえるみたいなんですけどね、冗談じゃないです。←右の写真とかが良くないんですかね? しかし、わざわざサッドフェイスの写真を撮るのもねぇ。

何日か前のこと、すでに契約は切れたはずなのに、なお律儀に配達される読賣新聞を読んでいると、国際面にウルグアイの大統領選挙のニュースが載っておりました。中道左派与党「拡大戦線党」のホセ・ムヒカ氏(74)が当選を確実にした、と。「優しい風貌の元ゲリラ」と題された写真付きの囲み記事によると、この方、「かつては強盗や誘拐に手を染めた元左翼ゲリラ」だそうで。要約するの面倒なので、というか、記事がすでに要約なので、そのまま転載します。「首都モンテビデオ出身。小学3年で父を亡くし、貧困の中で育った。家畜の世話や花売りなどで家計を助け、20代で労働運動にかかわり、やがてゲリラ活動に身を投じた。1972年に検挙され、軍事政権が終わる85年まで収監された。出所後は元ゲリラ仲間と政治団体を作り、95年に初当選。2005年にはバスケス大統領率いるウルグアイ初の左派政権で、農牧水産相に就任した。……(中略)飾らない性格で、貧困層や工場労働者の支持は高い。愛称は「ペペ」。05年、ゲリラ時代に知り合ったルシア・ポランスキー上院議員と結婚。愛読書はセルバンテスの小説「ドン・キホーテ」という。」……いやあ、なんかわくわくしませんか? 希望があるでしょ? こういう人が大統領になれちゃうダイナミックな世の中って。それに比べて、我が国というのは、ほんと閉塞的な社会だよねえ。端っから首相になりそうな出自のやつがまんまと首相になってしまうという。いや、ぼくは今のところハトヤマさんをわりと支持してはいるんですけどね、そういう個人的な思いはひとまず置いといてさ、そんなのばっかりでしょ、日本の首相って。少なくともここんところは。そりゃヤギの世話やマッチ売りを経験していればいいってもんでもないけどね、逼迫した理由による万引きを経験したことのないボンボン野郎に……いや、まあいいんだけどさ、つまらん感じがするのよ。閉塞感ってのはこういうところにも根があるのだと思う。せめて、例えば、ノリピーが前原大臣(歳も近いし)と電撃結婚してさ、そんでもってノリピ―のあげまんに乗って前原さんが首相就任とか、そういうこと起きないかな。……この世にもっとダイナミズムを! 

なんて思いで、新聞をさらにめくっていくと、今度は村上春樹氏が『1Q84』で第63回毎日出版文化賞を受賞というニュースに行き当たるわけ。……ああ。つまらん。あんなに売れた、あんなに話題になった本に、しかもとっくに権威を確立した作家に、今になってこんな賞をわざわざ授与する必要はあんのかな。ほんとに、つまらん。こういう、なんていうの? 無難な、事なかれ主義的な、日和見主義的な、その結果、強きを助け弱きを挫くことにもなる臆病なノリというか態度が、ニッポン国には蔓延してるように思うんだけど。もっとカウンターな意識とか気概はないわけ? ほんとイヤになっちゃうよ、去勢された羊みたいなのばっかりで。……あれ? マズいこと口走ったかな。かもな。まあ、いいよ。

で、話し戻るけど、最初のニュース、ウルグアイのね、わくわくするほかにも、なんでか妙にロマンチシズムとでもいうべきものを感じていて、最初は自分でもなんでかわからなかったんだけどさ、数時間後にハッとなった。ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短篇に、ウルグアイの左翼の大人物が出てくるのがあって、それがこの現実のニュースの土壌に雨水のように浸透してたんだよね。というわけで、本棚の奥から探し出して再読しました。『砂の本』に入ってる「会議」ってやつ。タイトルは素っ気ないけど、いや、内容もある意味、素っ気ないんだけど、それでも甘美で、切なくて、麗しくて、ああもう、たまらんよ。

ダイナミズムとはロマンチシズムが支えているのである。
……なんて言ってみたくなりました。

いうまでもなく、ロマンチシズムとは、この世を水浸しにしている、あの安い感傷のこと、ではない。

では、良いお年を!……あ、それは早いか。もう一度くらいはね。

11.05.2009

4時間後の世界

さわやかな秋晴れの朝。……秋、というより、そろそろ初冬ですか。

この連休は那須・塩原に出向き、いいかんじでひなびた温泉旅館と山間の紅葉とそこに舞い散る初雪を堪能後、パリ以来八ヶ月ぶりにハーフマラソンを走りました。タイムはなんと、自分世界最高記録の1時間48分05秒…くらい!(…くらい、というのはまだ正式タイムが送られてきていないので。)まあ、昨年も出場したこの那須塩原ハーフマラソンは、コースが、前半は緩い上り坂、後半は緩い下り坂、しかも、混んでいないし、空気はきれいだし、乳牛の姿なども散見できる田園風景は素朴で美しいし、美女ランナーはめっぽう少なく目と心を奪われることもないので、好タイムが出やすいんだけどね、それにしても日頃の練習は不足していたし、その数時間前、脱衣場で計ったところによると体重は高校時代以来の最重タイを記録していたし、前日当日と原因不明の便秘に悩まされていたりしたので、我ながら驚いていますが。驚いているというか、練習不足ゆえに、いまいち充足感がないんだけど。これがばっちり練習を積んだ上でのタイムならねえ……。でも、レース途中に、天気雨ならぬ天気雪がひらひら舞っていたりして、雰囲気と気分は最高だったな。
あ、それで、ほんとうは、世界記録を更新せんとする我が勇姿の写真をスポーツ新聞風にアップしたいところなのだけど、元秘書でもある我らがランニングチーム・UJOS専属フォトグラファーのEが(まさかオレがこんな好タイムでゴールすることはないだろうと高をくくっていたのだろう)、豆餅食ったりなめこ汁飲んだりイケメンランナーにうつつを抜かしたりしていて、シャッターチャンスを逃しやがった! ので、スタート前の集合写真を。



ところで、レース後、汗を流すべく&冷えた体を暖めるべく、日帰り温泉スポットに寄ったのだけど、そこの露天風呂で、ハーフマラソンはしょっちゅう(11月は毎週らしい)、フルマラソンも年に3、4回は走るという、すこぶるセクシーにしまった肉体の、50歳くらいの強者市民ランナーとつかの間、会話を交わした。これがなかなか面白くてね。彼いわく、ハーフとフルはぜんぜん別世界だと。「ハーフは10キロ走れるようになれば完走できるでしょ。少しくらい体調悪くてもなんとかなるしね。でもねえ……フルは……」と、そこで、いったん言葉を飲み込み、いささか口調を変えると彼は以下のように述べたのであった。「4時間後の世界がどうなっているかはまったく予期できないんだ」

いつか書くかもしれない、できれば書いてみたい、近未来サイバーパンク小説のエピグラフにでも引用させていただきたい箴言である。

ではまた〜。

10.27.2009

終電の後にはジェーン・バーキンの色香が。

ゆうべは雨の中を下北沢CityCountryCity(以下CCC)に来てくれたみなさん、ありがとう。
ぼくはもともと雨の日が好きなんでね(雨男ってわけじゃない)、プレイ中なんかもいつになく窓の外に目がいってしまいました。CCCって晴れの夕暮れ時も素晴らしいけど、雨の夜更けもすごくいいね。あかぎれの心が潤うんだよね。今はあるのかどうかわからないけど(たぶんあると思うし、あってほしいな)京都にカフェ・アンデパンダンって店があって、地下にある店なんだけど、壁と天井の境に小さな窓がついていてね、そこもそうなんだよね、晴れの夕暮れ時と雨の夜が素敵なんだ。京都で水商売やってる時は足繁く通いました。
さて、ゆうべは誰にもプレイリストをブログにとは言われてないんだけど、行を埋めるには非常に都合がいいので(!)、LPやCDを片す前に、というか、忘れないうちに、列挙します。1、2曲、入れちがってるかもしれないけど。

00. Artist / Title
01. Portishead / Deep Water
02. Galaxie 500 / Blue Thunder (W/Sax)
03. Tracy Chapman / Talkin' Bout A Revolution
04. Caetano Veloso / Come As You Are (by Nirvana)
05. Nirvana / Jesus Doesn't Want Me For A Sunbeam (by The Vaselines)
06. The Go-Betweens / Cattle And Cane
07. Badly Drawn Boy / Disillusion
08. Arab Strap / The Shy Retirer
09. Kings Of Convenience / I Don't Know What I Can Save You From (Remixed by Royksopp)
10. D.N.A Featuring Suzanne Vega / Tom's Diner
11. Morrissey / Disappointed
12. Nick Cave & The Bad Seeds / Foi Na Cruz
13. Jane Birkin & Serge Gainsbourg / Je T'Aime...Moi Non Plus


いつもはだいたい半ばあたりからついついアップテンポの曲に流れちゃうんですけど、昨日はぐっと踏ん張りました。深まる秋のセンチメンタリズム?叙情?哀感?…まあ、とにかくそんなのを出したかったわけですよ。で、踏ん張ったおかげでいつも持っていくのにちっとも陽の目を見ないニック・ケイヴがかけられたのがうれしい。しかし、これがまるでクロージング・ソングのようでね、じっさい終電系のお客さんが帰っちゃったんだけど。……終電?終電だよな?……そう解釈いたします。

ではまた。

10.20.2009

ウォーミング・アップ。

ども!ヘンリー・ロリンズです! グリーンランドに犬橇縦断旅行に行ってました!
……。
つーか、誰だよ、ブログなんてのを開発したやつは! 面倒と苦痛の種を蒔きやがって。
……いや、なんにしても、リズムってのは大切だね。一度、リズムを失うと、なにをどう書けばいいんだがわからなくなる。
ちょくちょくチェックしてくれてたみなさん、すみませんでした。本日から、ふたたび心を入れ替えて……いや、べつに入れ替えてはいないんですけど、ぼちぼち書くつもり。

このふた月ばかり犬橇旅行以外になにをしていたかというと……今さらここに書くほどの物珍しいことはなく……よく新聞を読んでたかな。政権交代ということもあって、政治面を。最近はそれにも飽きてきたけどね。

さて、いきなりだけど、来週月曜(10/26)に、また下北沢のCityCountryCityでレコードとCDをかけます。深まる秋の夜にふさわしく、ちょいシックに、ちょいセンチメンタルに、いきたいと思っております。この間(……って、いつだっけ?6月?)と同じように、がんがんおしゃべりできる音量と雰囲気なんで、気軽に遊びに来てください。

まあ、今日のところはこれで。リズムを回復すべく……。

8.28.2009

満天の星

……も、申し訳ない。
ひと月ばかり、ブログの存在を無視して生きておりました。
思えば、ヒロシマに行ったりね、話題には事欠かなかった気がするんだけども。

えー、まずは一つ、ニュース。
今日か明日くらい発売の「remix」誌で再び編集部・桑田氏と対談してます。
特集も「東京ボヘミアン」ってことでなかなか読み応えありますよ。
が、すごく残念なことに、remixは今号を持って、休刊らしく……。
なんだかなあ。読む雑誌がなくなるじゃねえか。

ここんところ、おれにしては珍しく、DVDで映画を観まくっている。
とりわけ、ここ2、3年の間に公開されたもので、見逃していたやつを。
今日はその中から3本紹介。星付きで。

ケン・ローチ監督『この自由な世界で』
☆☆☆☆☆
いきなり、五つ。
素晴らしい。震えるぜ。

クリスティアン・ムンジウ監督『4ヶ月、3週と2日』
☆☆☆☆☆
これも五つ。
絶句。鳥肌もの。

ハーモニー・コリン監督『ミスター・ロンリー』
☆☆☆☆☆
これも。
感動。泣いちゃったよ。

「なんだよ、ぜんぶ五つじゃねえか。しっかり批評眼を磨けよ」とおれの中の誰かが言うけど、ようするに今日は星五つのを紹介したかったのであり。

ここんところ、読んでる小説も素晴らしいのが多くて。どうなってるんだ? おれがどうにかなっているのか?
カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』。アーヴィン・ウェルシュ著『シークレット・オブ・ベッドルーム』。ロベルト・ボラーニョ著『通話』。

それにしても、ぜんぶ、舶来品だな。
このへんに、わたしの生きにくさの、秘密があるのでしょうかね。

週末は選挙です。
ぼくは小選挙区は民主党に、比例代表は共産党に入れます。
……ってこんなこと言っていいのか? べつにいいだろ。 

今日はこのへんで。
雑ですみません。

7.31.2009

おれにもバカンスを!

こんにちは。
まったく暑いね。まあ、暑いのはいいけど、この暑さの中で普段と同じように仕事をしなくちゃいけない、ってのがうんざりだな。すべての市民にバカンスを! そんなマニフェストはないものか。フランスでは、母子家庭とかに「バカンス手当」ってのが出るらしいぜ。富める者も貧しき者もすべての国民はバカンスを過ごす権利がある……という。「最低限度の生活」という定義に対する解釈が、ジャパンとはとんでもなく違うわ。

さて、みなさんお気づきのように、我がウェブサイトをリニューアルしました。筋金入りのキャット・パーソンでもある、平田陽子さんがデザインしてくれました。マンチェスター・ユナイテッドの買収に乗り出すべく円満退社した秘書のEを引き継ぎ、今後はサイトの管理も彼女にやってもらいます。まあ、このブログでは、彼女を「Y嬢」と呼ぶことにしようかな。どうぞよろしく。……っておれが言うのも変か。あ、男子諸君よ! Y嬢は残念ながら人妻である! しかし、希望は捨てるな! いい女は常に人のモノだ!

え〜と、なんだっけね、今日書こうと思ってたことは。……あ、まず、あれだ、たしか今日発売の「remix」9月号に、編集部桑田氏との特別対談が載っています。当初の予定ではエッセイ連載だったのだけど、いろいろと諸事情があり(こういうのばっかだな、おれって……この諸事情についてはいずれ良き日に……)、特別対談ということに。これがまあ、自分で言うのもなんだけど、なかなか面白いのよ。ぜひ、ご笑覧を。この対談は来月号でもやります。

……それから……なんだっけね? 
あ、そうだ。この間、おふくろに、猫ちゃんの名前変えたんだって?ブログによると……とか言われて……というか、手紙にそう書かれていて。いつのまにブログを読んでんだよ?おふくろは。パソコンはいじってないはずなんだが。困りますね〜。親は息子のブログを読んではいけない! それはそうと、猫の名前はブログのほうが古いわけで。ここでは「キッチ」と発表した雉子虎猫の名前はとっくに「キキ」と改名しております。しかも、ずいぶんデカくなりました。もう小学校高学年っていうかんじかな。



つーか、そんなしようもない話題じゃなくて、もうちょっと重要なのがあったはずなんだけどな。
……忘れたぜ!
ま、いいや、今日はこれでアップ。

7.25.2009

痩せ細った世界

 気がつけば、ひさしぶり。ここんところなんだかんだと忙しいんだよね。その、なんだかんだ、については、おいおい書いていくつもりだけど。

 今日は少し『1Q84』の話でも。
 このブログを定期的に読んでくれている人はおそらくご存知だと思うけど、ぼくは、日本の文芸については、いや、文芸だけではないな、日本の映画についても日本の音楽についても、大絶賛の場合を除き、なるべく書かないようにしているのね。ようするに、いろいろと面倒なんだよ。直接は知らなくとも、間接的には知っていたりするし。絶賛の時は「最高!」で済むけど、批判するにはそれなりのロジックが必要になるし。ただの「いちゃもん」が一種の諧謔として受容される可能性は、現在の日本社会では極めて低いし。というか、人との関係性を離れて、作品そのものと対峙する批評が、差しさわりなくまかり通るほど、成熟した社会には住んでいない、残念ながら、ぼくらは。……まあ、とはいえ、多額の原稿料が発生するならばやってもいいんだけどね(現金なおれ!)、ブログでそこまでやる体力も気力も金力もわたしにはありません。
 しか〜し。村上春樹くらい雲の上の作家の作品についてならば、ちょっとは「いちゃもん」を付けてもいいんじゃないかと。村上春樹はすでに〈Haruki Murakami〉という国際的な作家でもあるわけだし。そのように思い、今日はキーボードに向かっております。
 
 そう、じつは、しばらく前から『1Q84』を読んでいるんだけど、なっかなか進まない。なっかなか物語に入っていけない。もっとも、まとまった読書時間を取れないせいでもあるんだけど、どうもそれだけではない。ふと気づくと別の本を読んでいたりもするし(おれの鞄の中にはたいてい複数の本が入っているので)。なんでだろう? 
 いくつか理由は考えられるんだけど、その最たるものは登場人物の造形なんだと思う。つまりね、どいつもこいつも、ストイックで勤勉で何をするにも手際が良く(それぞれの位相において)雄弁で(それぞれの分野において)有能なんだよ。それも半端じゃないレヴェルで。(1巻の終盤に差し掛かった今のところ)ただの一人も、チャーミングだけどぐだぐだな奴とかがんばり屋だけどとことん凡庸な奴とかお人好しだけど悲しいかな愚鈍な奴とかは登場しない。女主人公に殺される、小説内の表現では「ネズミ野郎」でさえ、ドメスティック・バイオレンスの人非人ではあるけれど出自はめっちゃ良いし仕事においては異様に能力が高い。そういう、卓抜した、しいて言えば、超越した、人物しか登場しない小説世界にあって、それを読むおれは、ここでは名も与えられていない、その他大勢の人間の一人だって感じるわけ。小説世界からあっさり締め出された、とるに足らない人間の一人だって感じるわけ。ようするに、疎外感というほかないものを。で、いつのまにか、白けてる。眠くなってる。眠ってる。
 まあ、小説ってのは、物語ってのは、フィクションってのは、そんなもんなんだ、っていう考え方もあるだろうし、その考えにはたしかに一理ある。ぐだぐだな人間ばかり登場してたら、ストーリーはたいして進捗しないだろう。少なくともドラスティックには展開しないだろう。でも、ドラスティックに展開していけば、それで万事オッケーってわけじゃない。というか、超越的な登場人物によるドラスティックな展開の物語、なんて、あまりにも前近代的じゃないか。もっとも、村上春樹は、そのあたりをきちんと踏まえた上で、2009年の今、あえて大文字の物語に挑戦してるのかもしれないけど。……しかしねえ。
 いま、そのあたりを踏まえて、って書いたけど、じつは、そういう大層な使命なんかよりも、むしろ単純に、実存的に、春樹さん自身が、ストイックで勤勉で手際の良い人であって、ぐうたらで怠惰で手際の悪い人間が好きじゃない、もっと強く言えば、嫌っている、というのが、身も蓋もないけど、事の真相なんじゃないか、と(意地悪くも)睨んでいる。だから、ホメロスやシェイクスピアやドストエフスキーを読んでも感じたことのない、疎外感を、締め出されている感を、ぐだぐだな(!)おれは覚えてしまうのではないかな。
 このへんのことと関係して、ふと思い出したのが、またしてもチャールズ・ブコウスキーの言葉で、かのぐだぐだ野郎は(おおよそ)こんなことを言っていたはず――「午前八時にタイプライターに向かっている奴から本当のユーモアが生まれるわけがない」。この名言、あるいは迷言は、一方で、おれのような怠け者に寝坊する格好の口実を与えてくれもしているのだけど、他方でやはり、なかなかに正鵠を得ていると言わざるを……いやいや、正鵠を得ている、なんて物言いは、ブコちゃんには似合わないな、うん、とにもかくにも、痛快だ。
 そうなのだ、『1Q84』には、至る所に「ユーモアのようなもの」が、ちりばめられているのだけど、率直に言って、これらの大部分が寒い。真冬の、とは言わないけれど、春先の礼文島くらいには、寒い。やっぱ、春樹さんのようなストイックで早起きで勤勉な人って、おうおうにしてユーモアのセンスが欠落してくるのではないだろうか。「ユーモアのセンス」の代わりに、「慈しみ」や「豊饒さ」という言葉を入れてもいい。
 ま、こういうのは、ぐだぐだ野郎の惨めな遠吠えなんだろうけどね。――たしかに、勤勉さが達成させる偉業は数多いだろう、けれども、時にそれは、その人間とこの世界を危険なほどに痩せ細らせる一因であるかもしれないんだぜ。気をつけろ、「勤勉さ」とやらに。疑いの目を向けろ、「一生懸命」とやらに。
 
 というわけで、読了してもいない『1Q84』に、いちゃもんを付けてみました。読了してから書こうと思ってたけど、永遠に読了できないかもしれないし。読了してしまうと、いちゃもんは付けられないかもしれないし。

7.07.2009

ポップコーンをほおばって

……というのは、甲斐バンドの曲のタイトルなんですけど。

夕方、車の中でipodをシャッフルにしてたら、急に(まあ、シャッフルなんでどの曲も「急に」かかるんだけども、それにしても「急に」という表現がぴったりに)この曲が流れまして。どうして、ぼくのipodの中に甲斐バンドが入ってるのかもいまいち不明なんだけど(CDは持っていないし、購入した覚えもない、たぶん、なんかの折にツタヤで借りたんだろう)。率直に言って、がつ〜ん、とやられました。イントロで「ん?なにこれ?」となって、Aメロではちょっとだけ醒めて、けれどもサビの「ポップコーンをほおばって 天使たちの声が〜」で、頭がくらくらした。やべえよ。こういうこともあるんだよなあ。青天の霹靂っていうの?ヒョウタンから駒が出るっていうの? それで、今、アマゾンとかで調べたら、2007年だかに、ベスト盤が出ていて、そこに入ってる「ポップコーンをほおばって」がデジタル・リマスタリングかつRemixedだったので、それを明日にでも購入しようと思う。それとも、往年のライブのDVDにしようかな。83年だかに、新宿副都心の高層ビル街でライヴをやってるらしいんだよね。やっぱ、70年代から80年代ってのは、日本のロックもアグレッシヴだね。と思った。

ちなみに、今日のipodのシャッフル君はなかなかイカすやつでね。この甲斐バンドの次が、ベス・ギボンズ。以下→セックス・ピストルズ→シコ・ブアルキ→トッド・ラングレン→ラウール・プティット(フランソワ・ベランジェのカヴァー曲)→ベス・オートン→ジャーヴィス・コッカー→ピーター・ビヨーン&ジョン→電気グルーヴ→ルーツ→レッチリ→マイケル・ジャクソン、という流れ。このくらい大胆かつハイブリッドに行きたいね、次のDJは。そして、願わくば、人生も。

取り急ぎ。
何が取り急ぎだ。

6.30.2009

セットリストというほど大層なものではないが。

ゆうべはCCCに来てくれたみなさん、ありがとう。
結局、朝まで飲んでしまった。久々の朝帰りと朝カップ麺。現在、二日酔い=精神的悪寒のブリザード。
栃木県からはるばる来てくれた眉毛のない大学生からのリクエストにお答えして、レコードやCDを片付ける前にざっとセットリストを。

0. Artist/Title
1. Jonathan Richman / That Summer Feeling
2. Moby / Honey
3. Beck / Lloyd Price Express
4. The Roots / Guns are Drawn
5. Martiangang Feat.Time Machine/Miami Vice (smooth current mix)
6. A Tribe Called Quest / Can I KIck It?
7. Carlos Nino & Lil Sci / Higher
8. Department of Eagles / Noam Chomsky Spring Break 2002
9. Brazilian Girls / Last Call
10. Prince / Raspberry beret (Extended Remix)
11. Ian Dury / Wake Up And Make Love With Me
12. Elvis Costello / Miracle Man
13. The Only Ones / Why Don't You Kill Yourself
14. The Undertones / Teenage Kicks
15. The Smiths / You've Got Everything Now
16. The Clash / Rock The Casbah
17. The Smashing Pumpkins / 1979
18. 曽我部恵一 / 有名になりたい

もしかすると1、2曲違ってるかもしれないが、おおよそこんなかんじ。しかしね、中田。音楽を漁るのはもちろんけっこうなことだが、小説だって少しは読めよな。せめて、おれの小説くらいは読めよ。おれのとブコちゃんのとアーヴィン・ウェルシュのと……。そのへんは押さえておいてほしいね、眉毛のないギーザーくんには。

ところで、DJズズモのあれっていうのをおれはかけたのか? かけたような気もするしかけていないような気もする。ようするに自分でもあれっていうのがなんなのか、ちゃんとわかっていないのであり……。

ではまた。

6.24.2009

鈴茂の週刊フィルム・レヴュー

『レスラー』ダーレン・アロノフスキー監督、ミッキー・ローク主演
☆☆☆☆☆
星五つ。いっそのことどっかから星を半分もぎ取ってきて五つ半にしたいくらい。そして、いきなり我が人生のベストテン入り。しばらくはランキング1位を暴走するだろう。素晴らしい。素晴らしすぎる。……それ以外に何を言えばいいだろう。ダークサイド・オブ・アメリカン・ドリーム。失意と痛みとそんな中から静かに立ち上がってくる希望と。……希望? あれは希望なのか? 諦念とも言えるんじゃないのか? ちょっと待て。褒めすぎのような気もしてきた。いや、素晴らしすぎるのはウソじゃない。しかし、その一方で、痛すぎる、悲しすぎる。……ああそうか。映画そのものの素晴らしさと描かれている人生の痛々しさや悲哀を混同してしまうのかもしれない。映画であって同時に映画じゃなくなる映画……という言い方でなんとなくわかってもらえるだろうか。そう、鎮魂歌のように。うん、そうだ、これはレクイエムなのだ。不器用でひたむきな、だからこそ悲劇性を纏ってしまう人生へのレクイエム。なんだか論旨がねじれてしまった気もするが、まあ許せ。最近は、脳細胞がどんどん死んでいってるように感じる。ほんとうなんだ。やばいな。まだするべき仕事はたくさんあるんだが。やっぱタバコはやめるべきか。……タバコって……なんか考えることがちっこいな。……話が逸れてる。久々の主役を演じたミッキー・ロークが素晴らしいのはさておくとして、ストリッパー役のマリサ・トメイがとんでもなく素晴らしい。場末のストリップ・バーで、オッパイ出してケツ振って、それでもなお優美さを失っていない。あの役をあんな風に演じられる人は、他にいないんじゃないか。というか、あのクラスの女優が、あそこまでしてくれるんだ?と正直思ったね。今の日本にはいないだろうなあ。まあ、土壌が違うんだから、比べる必要もないかもしれないが、そんなこともおれは考えた。いや、土壌が違う、なんて、言い訳に過ぎない気もする。アートはアートだ。土壌が、なんて言ってたら、アートにならん。アートは土壌を凌駕する。はずだ。……また話が逸れたぞ。ま、とにかく、マリサ・トメイが素晴らしい。彼女にもっともっとたくさんの賞をあげるべきだ。……ああ、がんばって、今日のレヴューは英語で書くべきだったかもしれない。英語ならば、彼女が目にしないとも限らない。可能性はゼロじゃない。……マリサさん、ありがとう、あなたの仕事に胸を強く打たれました。Thank you,Ms.Marisa Tomei.I was greatly touched with your performance on The Wrestler.

いつものごとく、複雑な気持ちになったところで、今日は終わり。
前のエントリー(ハハ! 新しい言葉を使ってみた、新しいってもちろんおれにとってのという意味)でお知らせしたとおり、来週月曜の夜に下北沢CityCountryCityでDJをやります。時間が許す方はぜひとも。
  

6.18.2009

アイ・アム・ア・DJ

なんだか、猫系ブログのような様相を呈してますが、今日は違います。あ、いや、やっぱ、写真だけ。


えっと、6月29日の月曜日の夜に、下北沢CityCountryCityにて、久々に(何年振りだ?)DJをやります。いや、まあ、ぼくはDJ("I am a DJ" by David Bowie)……なんて偉そうに言える代物じゃないのだけどね。お気に入りの曲をどうにか繋いでいくだけで。ラウンジナイトってことなので、そんなにバカでかい音じゃないはず。ゆるゆると、お酒飲みつつ、おしゃべりしつつ、気が向いたら腰を振ったりもして、楽しもうぜ。
さて、なにをかけるかな? やっぱ、スズモのDJといえば、あれでしょ、あれ。あれってなんだよ? あれはあれだよ! ……1曲目だけ決めておこう、今、ここで、決めておこう。う〜ん……そうだ……ジョナサン・リッチマンだ! 予告先発。ジョナサン・リッチマンのザット・サマー・フィーリングで始めます。夏だしね! ……って、ひとりで盛り上がってるな、おれ。

雨の日かもしれないけど(根拠はない、ただなんとなく)、ぜひとも遊びに来てください。

6.09.2009

あたらしい生活



家族が増えたんですわ。

リスに見えるかもしれないけど、子猫。
里親募集のサイトにちらっと遊びに行って、写真を観賞してるうちにやっぱ欲しくなって、躊躇しつつも、というか、そんなに事がとんとんと運ぶとは思わずに、メールを送ったら、15分後には電話が鳴って、心の準備ができないままにものすごいスピードでいろいろなことが決まり、その日の夕方には我が家のソファの下に子猫二匹が隠れていた。足立区の公園に捨てられていたもよう。ほんとは一匹を飼うつもりが、この子たちを保護した女性はペット禁止のマンションに住んでるらしく、とりあえずトライアルでいいので二匹を一週間預かってもらえませんか?とお願いされ、預かったのだが、こいつらがあまりにも仲睦まじく、引き離すのが忍びなくなって、結局二匹をいっぺんに飼うことに。まだ警戒心を抱いていて、近寄ってきてくれないんだけどね。あるいは、最初の三日ほど、無理やり捕獲しては目薬を差していた(目やにがひどかったので)のが、よくなかったのかもしれない。まあ、いいや〜。いきなりなつかれると、のちの達成感もないしな〜。この茨の道のりこそが人生なのだ。などと、子猫に逃げられた後の自分を慰めております。

雉子虎を「キッチ」、黒を「クロエ」と名付けた……まるで芸がないのだが。いやね、トライアルの間、変に愛情が芽生えてもマズいと思って、「キジ」「クロ」と呼んでいたのよ。それがいつのまにか定着して、けど、そのまんまもなんだし、ちょっとだけもじってみたという。あ、まだ、たぶん生後1か月くらいで、チューチューと鼠のように啼いている。というか、啼くのは今のところ、クロエだけで、キッチはひょっとすると、口の訊けない子なのかもしれないな。

ともあれ、猫以後の人生、第二章がはじまった。

5.28.2009

鈴茂の月刊フィルム・レヴュー

欠落感は埋まらないけど、まあなんとか。
弔いのメールをくれたみなさん、ありがとう。

5月もそろそろ終わりということでこのひと月ばかりに観た映画を(いきなりどうしたの?ってかんじだけど)星☆評価で。最高は五つ。★は☆半分の意。

『MILK ミルク』ガス・ヴァン・サント監督 ショーン・ペン主演
☆☆☆☆
四つ。素晴らしい。普通に感動した。普通に、というのは、カメラワークがどうとかプロットがどうとかそういう言わばこましゃくれたことで脳を汚さずに、ただもう純粋に映画内世界を享受した、ということ。最後のほうは泣いたね。映画を観ながら鼻水をかむなんて久しぶりだ。しかし、映画館を出たとたんに気分が曇る。というのは、やっぱアメリカっていいよなあシンプルだしダイナミックだしって思って……だってあんなふうにたとえゲイだって市議会議員になれて……つまりはどんなマイノリティーだって強い信念を持って行動を起こせばちゃんと支援してくれる人が現れ出てそうしてわずかながらでも社会は動き歴史は更新されてく……それに比べて世襲のブタどもがのさばってそれをまたアホな大衆がちやほやしてヌルくてヘナヘナでむにょむにょで社会は滞り歴史は間延びする……権力とか薄っぺらい良識とかに対峙すべきマス・メディアはポピュリズムだかなんだか知らないが結局のところ体制側になびいて安全圏に逃げ込んで……いやいやそんな遠くのことじゃなくてもぼくらの生きる卑近な日常においてもその人の立場によって接する態度をこせこせと変え仕事や作品そのものに真摯に対峙するんじゃなくて村的な関係性の中で優劣を決めて……ようするに強きを助け弱きを挫くのかよ〜みたいなのが平気で横行するというかほとんど常識のようにさえなっているこの腐ったトマトのような我ら日本人と日本社会を思って気分が曇ったのですよ。いつのまにかミルクの話から三万光年くらい離れてますが。しかも酔っ払いの愚痴みたいになってるし。……ええと、それで、泣くほど感動したのに、なぜ☆が四つかというと、やはりどこかに映画を観ながら脳を汚されたい、という、ともすると鼻持ちならないこましゃくれた気持ちがあって……。

『スラムドッグ$ミリオネア』ダニー・ボイル監督
☆☆☆★
三つ半。まあ良かった。まあ楽しめた。ドキドキもしたしジーンともした。なかでもスラム街のシーンにはすごくリアリティーがあって身震いした。カメラワークもなかなか斬新だしプロットもなかなか工夫してあるし音楽なんかもアカデミー賞受賞作品ってことで「クレイマー、クレイマー」なんかをなにげに喚起させつつ観に行った温良な人を少なからずビビらせるぐらいにはブイブイいってるよね。けどね〜。なにかが足りないんだよな〜。ようするにいろいろと派手にやってるけどしょせんはスクエアだってことなのかな。例えばさ、今、この2009年に、ビートルズの「ヘルプ!」とか「ヘイ・ジュード」を聴いて、ほんとうに心から感動できる? 感動できるっていうか、完全に向こう側に持っていかれる? おれは持っていかれないな。あるいは、カート・ヴォネガットの小説に出てくる言葉を。「人生について知るべきことは、すべてフィードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこう付け加えた、「けれどもう、それだけじゃ足りないんだ」」。

『ウェディング・ベルを鳴らせ』エミール・クストリッツァ監督
☆☆☆☆★
四つ半。五つでもいいんだけどあんまり簡単に五つをつけるのもどうかという喪中ならではの沈着さもあって四つ半。正確には四つと四分の三。最高(の域)。ブラボー。持っていかれたぜ。全編を通して漲るエネルギーと緊張感とセンス・オブ・ブラック・ユーモアと。ハードコア・パンクである。いや、パンクという言葉もいいかげん擦り切れてきて使うのをためらうのだが、ここはハードコアという形容詞を添えた上で、あえて使いたい。簡単に言っちゃうと、ドタバタ・ハッピーエンド・コメディなんだけどさ、おれはね、この映画の通奏低音として、ハッピーとは裏腹の、半端じゃない「怒り」を感じた。そうなんです、「怒り」を含まぬものに、わたしは安々と持っていかれたりはしないのです。それと、花嫁役のマリヤ・ペトロニイェヴィッチという、この映画がデビュー作になるらしい女優が最高にキュートでね。たまらんよ。目眩がするよ。その晩の夢に出てきたよ。ちなみに、渋谷シネマライズに、過去のシネマライズ上映作品のパンフを持っていくと、1000円で鑑賞できます。称賛されるべき嬉しい企画じゃないか。

『スウェーディッシュ・ラヴ・ストーリー』ロイ・アンダーソン監督
☆☆☆☆☆
五つ! いや、これは、我が家の小さなモニターにてDVDで観たものなんで、ちょっと反則なんですけど。かなり遠くまで……対岸どころか、次の河の土手にあるテニスコートまで持っていかれたね。なんですか、この映画。変です。まあ、通常の意味では、破綻してます。タイトルとポスター(やスリーヴ)のイメージから、ロイ・アンダーソンが撮った、唯一の、ピュアな、まあ今日の文脈からいえば、スクエアな、思春期恋愛映画だと思ってたの。それが。おいおい。うちのおふくろ(ちなみに『スラムドッグ〜』は観に行ったらしい、感想は聞いてないけど)とかが観たら、頭おかしくなっちゃうよ。いや、もちろん、ただ「変」という理由で、☆を五つつけたわけじゃないんだけども。最高のリリシズム。なのに、卑近な社会性を帯びることを厭わない勇敢さと(たぶん)怒り。ロイ・アンダーソンの芯には、常に半端じゃない怒りがあるんだと思う。

もっと怒れ。きみの目の前の現実に。
そして、ファック・ザ・ユニバース。

5.19.2009

猫以前と猫以後

ご無音、お許しを。リチャード・ヘルです。
ベルホヤンスク山脈をトレッキングしてました。

土曜日にうちの黒猫でんが死んじゃってね。参ったね。
まあ、16歳だし、慢性腎不全と糖尿病に加え、最近、食道ガンも発覚して、もう長くないことはわかっていたんだけど、それにしてもこたえた。

じつは、おれにとってはじめての猫だったんだ。当時すでに6歳だったあいつに会う前のおれは、明らかに犬派。猫はどちらかというと苦手だったかもしれない。あいつもそのことを感じたんだろう、最初のうちはどうにもしっくりいかなかった。それがいつのまにか……。

大袈裟な物言いかもしれないけど、おれの人生はいまのところ、猫以前と猫以後に分かれると思う。小説を書き出したのも猫以後だ。
・・・・・・ダメだ……書けねえぞ。ファック・ザ・ユニバース。

喪中。
ということで。

4.15.2009

入ってきてよ、ぼくらの社会に。



もう四月も半ばじゃん。参ったな。どうなってんだ、このスピード。

ハーフマラソンについては今日も書かないでしょう。いつかは書くでしょう。いつになるでしょう。

先日、軽いドライヴ帰りに我が家から田園都市線の駅でいうと三つほど奥になる市ケ尾駅前の……なんて言ってもこのへんに住んでる人しかピンとこないか、えーとね、住所でいうと、横浜市青葉区になるのかな、渋谷から三十分強の郊外住宅地の……西友に晩ご飯の買い物をするべく寄ったんだけど、店に足を踏み入れた途端に普段使っているスーパーマーケットとは異なるムードを感知した。そのわけは、店内が妙に静かだったからで、いいなぁこのかんじ、と思ってさらに耳を澄ませると、なんとBGMとしてジェーン・バーキンが流れていた! うひぁ、郊外の西友でジェーン・バーキン? しかも、ちょっと耳を澄まさないと聞こえないくらいの音量で。

いいよねえ。こうであってほしいよねえ。

いやまあ、ジェーン・バーキンはこの際どうでもよくてさ、スーパーのような不特定多数の人間が出入りする半ばパブリックな場では、音楽が流れているにしても、耳に邪魔にならない音量で流れていてほしい。おれはほんとうにこの手の問題に日々悩まされているのだよ。普段出入りする近所のスーパーやコンビニの多くでは、騒音としか思えないような音量で、店内放送が流れている。しかも、それがまだモーツァルトやブライアン・イーノだったら許してもいいけど、君の笑顔が見たくてだのあなたがくれた夢だのありがとう愛だの、といった白痴的な歌詞と黴臭いメロディーの歌謡曲が。
 
気が狂いそうである。繰り返すけど、音楽の趣味はまあ人それぞれだからよしとしよう、おれが歪んでるのかもしれないしさ、問題はあの音量よ。ライブハウスとかCDショップとかお気に入りの古着屋とかじゃないんだからな! 単にタマネギとかさんまの開きとかヨーグルトとか発泡酒とかを買いに来ているのであって、歌謡曲を聴きに来ているのではない! 無理やり聞かせるな! 音だって一種の暴力だぞ! おまけに、この際だから名前出しちゃうけど、東急ストアの鷺沼店には、売り場の要所要所にラジカセや小さなモニターが置かれていて、自動音声でなんだかんだとかまびすしく商品のアピールをしてるの。それらが互いに相殺して結局、何を言ってんだがほとんど聴き取れない。もう音の地獄だね。この間は、ついに我慢できなくなって、「お客様の声をこちらへ」などと記されてるボックスに、そのことを書きつけて投函した。翌日、売り場担当マネージャーとかいう人から電話が来て、「放送をやめるわけにはいきませんが、音量については善処します」みたいなことを言われたけど、どうなってんだか。まあ、たった一つの意見で、大きく変わるということはないだろうな。

で、西友。調べてみると、西友はいまや世界最大のスーパーマーケット・チェーンであるアメリカ・ウォルマートの子会社なんだね。最高経営責任者もエドワード・ジェームズ・カレジェッスキーさんとかいう外国人。ふむふむ。このこととBGMの音量および選曲は関係ないのかな。関係あるだろうな。関係あるとおれはみたね。……ならば。もし、西友(少なくとも市ケ尾の西友)のように店内が静かになり、白痴的な歌謡曲の代わりに、ジェーン・バーキンが流れるんだったら、あ、それはいいんだった、えーと、そんな贅沢は言わないぜ、いっそミスチルでもいいから小さな音量でかけてくれるんだったら、他のスーパーマーケットやコンビニエンスストアも、どんどん外国の企業に買収されてほしいよ。

で、さらに、思い出したんだけど、欧米のスーパーマーケットって、静かなだけじゃなくて(というか、たいていはなんにも流れていない)、レジの人が椅子に座って働いてるよなあ、まるで自分のデスクに向かうみたいに。ぜんぶがそのスタイルなのかどうかは知らないけど、記憶にある限りそうだ。さすがに西友はレジの人、立ってたけど、けれども、あの、ニッコリ笑顔+「いらっしゃいませ〜こんにちは〜……198円が1点……合計で3685円頂戴いたします……四千円お預かりいたします……ありがとうございました〜またおこしくださいませ〜」+一礼+ニッコリ笑顔、というような、過剰に詳細で慇懃な、消費者は神様です的な、接客ではなかったことはたしか。もっとシンプルで実際的だった。……あれねえ、働いたことある人はわかるはずだけど、すんごく大変なんですよ。ああいう接客をさせられることで、少なくとも倍のエネルギーは使うね。しかもなんのためなんだかわからないエネルギー。……などと考えていくと、グローバリゼーションってのは労働者にとって良いことも多いんじゃないかな。と、たった今思いついたように書いたけど、ぼくはじつは長いことそのように思っています。カモン、アメリカ。カモン、フランス。カモン、世界。

ちなみに、自動音声による騒音等については、中島義道の「うるさい日本の私」(新潮文庫)や「醜い日本の私」(新潮選書)に、詳しく、かつ面白く、書かれています。興味のある方と、小生のように公共騒音に発狂しそうになっている方はぜひこちらを。

今日は珍しく改行、および行間空けを実行してみました。どうかな?

あ、写真はまたしても本文と無関係。地下鉄の中で。ミラノの女たち。いつまでこのネタを使うのだ?

3.28.2009

ハーフマラソンについて書くつもりが、ウェディングプレゼント。


 
 早いものでもう3月も終わり。ブログも更新できないままに日々が過ぎてゆく。毎日のように様々な出来事が、大なり小なり微小なりが、あるんだけどね、書き残せないまま。
 そうそう、例えば、the wedding presentのライヴに行ったりとかね。92年か93年(かその前後)に渋谷オンエア(と当時は単にそう呼ばれていたはず。箱の中はどうなっているのか知らないけど、現在のO-East)で観て以来。ひょっとして来日もそれ以来だろうか(それはないか?――そういうこと調べるのは面倒なので気になる人は自分で調べてください)。会場はO-East向かいの渋谷O-Nest。今どきウェディング・プレゼントを生で観聴きしたいと思うのはいったいどういう人たちなんだろう?という興味を道中にわかに覚えつつ、会場へ。若い子もちらほら見かけて驚いたけど、中心はやっぱ同年代。「ビザーロ」あたりからの真摯なファンと思われる。生き残り、と言ってみたい気持ちにも駆られるなあ。あと、外国人が多かった。とりわけ、男。なんとなく、イギリス人。おそらく、同年代。まさか、わざわざライヴを観に日本に来たわけじゃないだろうから、普段はベルリッツとかで先生をやってんだろうか。ライヴ中、最も盛り上がっていたのも彼ら。で、肝心のライヴは、「ビザーロ」からも「シーモンスター」からも「ヒットパレード」からも、もちろん最近のアルバムからも満遍なくやってくれて、まるで現時点でのベスト盤みたいな、嬉しすぎるセットリスト。音は、もう、そのまんま。レコードのまんま、昔のまんま。唯一無二のあれ。リアレンジしてみようとか、加工してみようとか、そういう意図はまったくないんだろうな。Gedgeの声も、そのまんま(と感じられた)。まあ、もともと、若々しい声じゃないんでね。ガサガサガリガリしたぶっきらぼうで荒々しいギターサウンドと、その中にひっそりと宿る、スウィートネスとセンチメンタリズム。印象に残ったのは、Gedgeが荒々しい音の渦中にあって、とても丁寧に歌を歌っていたこと。時にはゼスチェアまで加えて。もっとも英語なのでところどころしか、しかも簡単な英語のところしか聴き取れないんだけど「ぼくはまだきみを愛しているんだ」とか「きみがいなくてどんなにさみしいか」とか、そんな、なんと名状すればいいのか、青くて、脆くて、ダメな男の女々しい、つまりは他人事ではない!歌詞を。……それから、可笑しかったのは、そのGedgeが、おい大丈夫かよってこっちが気を揉むほど開演間際まで物販コーナーの周囲でうろうろしていたこと、かつ、終演後、おれらが会場から出てきたら、すでに物販コーナーの脇にいたこと。そりゃ早すぎだろ。着替えくらいしてこいよ。握手してもらったら、手のひらは果たして汗で濡れていた。ともかく、素晴らしいライヴ。生き残るぞ、と思わせてくれる素晴らしいライヴ。
  
 あれ? WPのライヴについてなんて書くつもりはなかったんだけどな。そうじゃなくて、ハーフマラソンについて書くつもりだったんだが。というか、しばらく連載的にハーフマラソンとそれにまつわるいろいろについて書いてみようかと。まあいいか。次から。気が変わらなければ。
 
 写真は本文とはまったく関係ありません。ミラノの街角の古本屋。

3.12.2009

書を携えて旅に出よ


駆け足でミラノとパリに行ってきた。

ほんとうは、なんであれ、慌ただしく行動するのは苦手なのだけど、今回はまあ時間的にも金銭的にものんびりする余裕はなかったので仕方があるまい。ミラノ行きの飛行機の中で堀江敏幸の『郊外へ』を読む。エッセイと小説のあわいをたゆたうような端正にしてチャーミングな文章にうっとりして眠り、目覚めてはまたうっとりしてるうちにミラノに到着。そのミラノはずっと雨。冬の雨。冷たい雨。不法移民らしき中近東系の物売りから5ユーロで折りたたみ傘を買い、ひたすら石畳の街路を歩いた。ほとんどあてずっぽうに、というのはなぜかガイドブックに路線図が載っていないからなのだが、トラムに乗ったりもした。あるいは、カフェで立ち飲みエスプレッソ。書店でうろうろうきうき。ヘンリー・ミラーの『北回帰線』のハードカヴァーとアラン・シリトーの『長距離走社の孤独』のペイパーバックをジャケ買い。ほんとうはミラーの『セクサス』『プレクサス』『ネクサス』三部作ボックスが欲しかったのだが、値段を見て断念。まあ、どうせイタリア語じゃ読めないんだし。いや、読める読めないはじつは関係ないんだけど。書物というモノが好きなんでね。一人で食べる晩ご飯はさすがにわびしいけど、しかし極上のペンネ・アラビアータと廉価の赤ワインとキュートな給仕の女の子がそれを癒してもくれる。ミラノ中央駅から列車に乗ってパリへ。列車の中ではケルアックの『オン・ザ・ロード』を原書で。そういえば、ケルアックの英語に触れるのははじめてだったかもしれない。これがまた、なんともチャーミングな英語で。端正ではないけれど、程よいルーズさが孤独な心を温めてくれる。などと生意気にも感じるのは青山南の新訳の印象が残ってるからか。とまれ、いつのまにか列車の走行リズムに合わせて眠っている。目覚めると、そこはアルプス山中。一面の雪景色。うそだろ? いや、まじだ。ほんとに雪だ。ヨーロッパの雪だ。白い夢じゃないぜ。車掌がイタリア人のでっかいおっさんからフランス人のでっかいおねえさんに変わる。だから挨拶も「ブォンジョルノ」から「ボンジュール」に。パリでは友人たちに一年半ぶりの再会。抱擁。とらやの和菓子と『女たち』を渡す。英訳の「サンドラ」だけは彼らも読んでくれるだろう。そして、今回の旅の一応のメインである、セミ・マラトン・デ・パリに出場。ようするに、ハーフマラソン大会。大会というよりフェスティヴァルといったほうがいいかな。練習不足が祟って、ちっとも良いタイムじゃなかったけど(1時間59分58秒)、とても楽しく走った。なんつってもパリの市街とヴァンセーヌの森を走るんだからね、眺め抜群、雰囲気ワンダフル。まるで映画の中を走ってるみたいだわ♥。沿道では様々な人々が様々な音楽を、シンフォニーやらアフリカンビートやらロックンロールやらを、生演奏していて、iPodは不要だったかもしれない。もちろん、その日以外は、ミラノ同様、ひたすら歩き回る。歩き疲れたらカフェでKate Bravermanの"Squandering the Blue"を電子辞書を引きつつ。読み疲れたら通りを行き来する人々をぼんやり眺め。きれいな女性に目がいくのはいつものことだけど、今回はやたらと初老のおっさんに目が奪われる。なぜかを考えたけど、端的には言えないのでここでは割愛。そうしてやっぱり、書店でうろうろうきうき。ミシェル・ウエルベックやマリー・ンディアイの原書や(結局)ブコウスキーや(相も変わらず)ミラーの仏語訳を購入。買い物は本だけ。あ、塩とウエハース・チョコレートも買ったか。と、そんなかんじで、駆け足のミラノとパリの旅は終わり。関空(成田への直行便が取れなかったので)への機中ではシャンパンと白ワインでぐでぐでになりながらコーマック・マッカーシーのクライム・ノヴェル『血と暴力の国』を。No Country For Old Men.

ざっと乱暴に書いたけど、こういうのをいずれつらつらと書いてみたいね。それこそ、堀江敏幸さながら、エッセイと小説のあわいを優雅にたゆたうように。もっとも、おれが書くと、あのような品位や含蓄は出ないんだけどさ。

うん、これからも、日常と旅先を、日本と外国を、日本語圏と日本語圏外を、往還していたいと強く思った。そんな形而下の、ひたすら地上的な往還の中でしか、見えてこないものがあるのです。みなさん、書を携えて旅に出ましょう(笑)。……(笑)は、みっともないから取るか。書を携え、旅に出よ。ピース。

3.03.2009

小説について語る時にわたしたちの……

百年でのトーク・イベントに来ていただいた皆さん、ありがとうございました。

そして、すまん! 自ら懸念していた中川(酩酊)状態になってしまった。少量のアルコールを体内に注入して、脳をほぐし舌を滑らかにするつもりが、ついつい。ふと気付けば、脳は固まってるし舌はもつれてるし。……しかし、弱くなったよなあ。おれも確実に老化してるということなのか。

あとで、素面で反芻すれば、当然ながら、あの話をすべきだった、とか、あの話はすべきじゃなかった、とか、あの話はああではなくてこのように話すべきだった、とか、多々あるんだけど。

とりわけ、もう少し、日常的な視点で、生活に即した文脈で、小説の話をするべきだったと思う。せっかく「女たち」も出たばかりなんだし。もっと、チャーミングになりえたはずの小説の話をね。……つまりは、石川さんのパワフルな論法に寄り切られたってことなのか…笑。

それとね、質問コーナーの時に感じたことで、ここであえて言っておきたいことを。
ああいう、なにげに高踏な、ややもすれば小難しい、あるいは純理論的な、話題が飛び交ってる時に、卑近な、素朴な、あるいは(英語の形容詞を使えば)プラクティカルな、話題を持ち出すのって、かなり気が引けることだよね。けど、恐るる事なかれ。ひょっとすると、一見バカっぽいカジュアルな問いかけこそが、とんでもない深遠な真理を突き刺しているのかもしれないのだから。

最後のほうで、「もっと鈴茂さんの話が聞きたかった……」と、おそるおそる発言してくれた前列のショートカットの女の子。わかるわかるすごくわかるよ、あなたがその単純かつ朴訥な問いかけの奥底で、じつは何を言わんとしていたのか。期待に応えられなくて申し訳ない。また、次の機会にね。ともあれ、あの場面でそのような発言をしてくれたあなたの勇気に、リスペクトとサンクスを表します。

2.27.2009

六十六歳のおばあさんはリンダが好きだという

 まあ、当然ながら毎日いろいろなことがあるわけだけど、ここに記せないまま日々が過ぎてゆく。簡潔にさらっと書けないのは、おれの性分でもある。しかし、今日はそんなおれの性分をねじ曲げて、できるだけさらっと書きたい(と、いつも思っているような気がするが)。

先週のことになるが、ほんとうに久々に、曽我部恵一バンドのライヴを代官山UNITで見させてもらった。そして、ほんとうに久々に、”青春”真っ直中な気分を味わわせてもらった。そういうのが、ちゃんとおれの中にも残っているのである。でね、途中で、横や後ろのお客さんをちら見したら、みんなすっげえハッピーな顔してるんだよなあ。その言いようのない美しさに、思わずウルっときちゃったぜ。ロックンロールってすごいよ。マジで。

おふくろとこれまた久々に電話でしゃべったら、『女たち』を読んだという。どれが良かった?と訊いたら、「リンダ」が好きだという。これには少なからず驚いた。だっておふくろはブコウスキーなんてまったく(神に誓って!絶対に!)知らないわけだし。ふだんはせいぜい山崎豊子とか三浦綾子とかを読んでるんじゃなかったっけ? 少なくとも、ど田舎で生まれ育って今もど田舎で暮らす、土いじりと二匹の犬が好きな六十六歳(たしか)のおばさん……いや、おばあちゃんよ? でね、一方で、とても親しくさせてもらっている、三十歳(たしか)の、アーバンな育ちで今もアーバンで暮らす、おれが聞いたこともないようなフランスの作家の名前を(酔ってるくせに)がんがん出してきたり、「あ、それについて、ニーチェはこんなふうに言ってますね」とか(酔ってるくせに)語ったりする、まあ言ってみれば、文芸エリートの編集者も「リンダ」を褒めてくれた。これはなかなかに感慨深いのである。おれの三十倍はインテリジェントな編集者とおれの三十分の一くらいしかインテリジェントでないおふくろ(……まあ、読んでないだろうけど、おふくろ、ごめん! これも、レトリックってやつさ)が、同じ「リンダ」を好んでくれる、というのはね。

夕方、「remix」が届いた。ブック・レヴューで桑田晋吾氏が『女たち』と「桜井鈴茂」について、素敵な評を書いてくれている。うれしい。とくに、今さらながら、『アレルヤ』に触れてくれているのが、うれしい。桑田氏曰く「これは下北沢版の『トレインスポッティング』だ」と。……しびれるぜ。あの小説は刊行当時、僅かの例外を除き文芸業界にもその他の業界にもほとんど相手にされなかったので(装丁がひどいせいもたしかにあると思うが)、あえて自賛させてもらうけど(そのくらいの道理はあるだろ、ベイベー)、いいよ〜。……いいよ〜、って説得力ないかw。しかし、絶版。どなたか、装丁新たに再発(復刊)してくれませんか。「埋もれていたゼロ年代最高の青春小説、ここに復刊!」みたいな帯つけて。というか、あれにはもともと曽我部恵一がワンダフルな帯を書いてくれてたんだよな〜。ソカバン・ファンのロックンロール・キッズよ、ぜひとも。  

と話がなにげに戻ったところで、今日はおしまい。ぜ〜んぜん、簡潔じゃないけど。ルーズなだけで。そういえば、最近、おれ、宣伝ばかりしてるな。まあ、いいか。つーか、宣伝でやってんだしな。とか、身も蓋もないことを。

では、土曜日、百年で会おう。中川・元財務大臣の真似をしないよう、気をつけます。

2.16.2009

百年で

久しぶりになっちゃったな。

さてさて、『女たち』は無事みなさんの住む街に届いてますか。さきほど旧友から「値段が高いぞ」みたいなメールが来てて、そういうこと言われると心が痛むんですけど、まあこればっかりはおれにもどうしようもないことなんでね、勘弁してください。

そういうことを含めて、話しましょう、百年で。小説の値段とか未来とか意味とか位置とか倫理とか。まだ受付中らしいので、都合がつく方はぜひとも。


数日前、ダルデンヌ兄弟監督の「ロルナの祈り」を観た。いろいろと書きたいんだけど、時間がないので一言。……素晴らしい! ほんとに素晴らしい! おれの中では、この作品をもってして、ついにダルデンヌ兄弟は現代最高の映画作家の一人(というか兄弟だから二人なんだけど)になったね。

昨日は友人夫婦の家で、音楽の映像を見まくった。ミュージック・ヴィデオやグラストンベリー・フェスの映像や。我が家ではこういうのをあまり観ることがないので、すごく楽しかった。とりわけ、Faithlessのグラストンベリーが最高だった。

取り急ぎ。ってまるでメールみたいだけど。まあ、メールみたいなものか。

1.29.2009

2月10日に出発。女たちがあなたの住むまちへ。

深夜というか朝方ゆえ、変なテンション。

ついに『女たち』の発売日が決まったよ〜。というか、じつは、本の場合は、CDなんかと違って、決まるのは発送日なんだよ。2月10日スタート。だから、東京都内の本屋さんなら遅くとも12日には店頭に並ぶと思う。札幌や京都や福岡に住むあなたのところには13日とかかな。苫小牧や小田原や大牟田くらいの大きさの町の書店にはそもそも入荷されるのかどうかあやしいね。それが桜井鈴茂の現状であり、またなによりも日本の現状でもあるのです(って、なんで、いきなり、ですます調なんだよ?)なので、不安な方は注文してください。注文してくれれば、稚内でも鯖江でも石垣でも書店さえあれば入ります。あとアマゾンね。アマゾンならグラスゴーでもパレルモでもモンテビデオでも配達してくれるよ(たしか、そのはず)。もちろんアマゾン以外にもネット書店はたくさんあります。あ、そうだ。物がいいぶん、値段がちょっと高いんだよ〜。1800円+税。うわっ。でも、これは出版社の決めることで、おれにはどうしようもないんだけどね。ま、一回、昼ご飯を抜くことになっちゃうかもしれないけど、我慢してくれよ。心をきっと満腹にさせるからさ。きみを別の場所に連れてゆくからさ。

それと、この間も告知した、2月28日に催される吉祥寺・百年でのトークショー、vs 石川忠司。チケットの発売が今週土曜からのようです。ぜひとも来てね。

1.24.2009

マッチョなおれ

先週の日曜は千葉・幕張でハーフマラソンを走った。滑り出しは上々。真冬用のプレイリストもばっちり。すべてがデカ過ぎて風景の変化には乏しいが、コースは広くて走りやすい。が、寒さのせいもあってスタート時にすでにうっすら感じていた尿意が12キロあたりからだんだんただならぬものに。14キロあたりでおしっこのこと以外なんにも考えられなくなる。脳も膀胱の一部であるかのような気がしてくる。おれは膀胱。膀胱はおれ。All I Need Is Pee. おしっここそすべて。15キロ手前、コース脇に公衆トイレを発見。嬉々として駆け込む。うはあ〜。気持ちE〜。たまんねえな、こりゃ。セックス、ドラッグ、アンド、ピーか。と、日常生活ではめったに体験できない驚異的な放尿のカタルシスを存分に味わったものの、いったん止めてしまった足は走り出そうにもやたらと重い。気持ちも切れてる。あ〜あ。結局、17キロ地点くらいまで歩行することに。老若男女、たくさんの人に抜かれてゆく。みんながんばる人。おれダメな人。いや〜。ほんと、みんながんばってんだよなあ。それぞれのペースで。それぞれのスタイルで。なんのために走るのだ?誰に頼まれたわけでもないのに? おれもよくわからない。が、このまま歩いてゴールするわけにはいかない、という気持ちは徐々に強くなり、やがては歩いていることのほうが苦しくなり、ちょうどきれいな女性に抜かれたのを機に、つまり、その優美な後ろ姿を当面の目当てに、再び走り出したのだった。あとは根性。ゴールは千葉マリンスタジアム。1時間57分28秒。

木曜日は若い男衆と飲んだ。というかまあ、年齢なんてたいして気にかけていないのだが、訊けば、平均おれの一回り下。みんなおれの小説を愛読してくれてる。いろいろしゃべってるうちに、ひょっとしたらこいつらがこの世界を変えてくれるのかもしれない、と思う。いや、世界じゃない、社会だ。世界、といったほうが語感もいいし、クールでもあるのだが、そういうヌルいスマートさになびいて、結局ほとんどなにも、少なくとも本質的なことはなにも、変えられなかったのが、おれたち以前の旧世代という気がしなくもない。いっそ世界なんてどうでもいいんだよ。それよりまずは社会なんだって。目の前の敵を見極めろ。……あれ?話が逸れてる? つーか、いつになく、マッチョなおれ。ま、ともあれ、彼らから精気と刺激と知識をたっぷりもらって帰ってきた。サンキューね。

1.16.2009

渾身の連作短編集がまもなく

昨日、ようやく、『女たち』がおれの手元を離れた! 今回は、ほとんどすべての過程に、つまり、例えば、デザイン上の細部の確認にまで、係わらせてもらった、というのもあるし、英訳を併録することにした(英訳については編集的な仕事もした)、ということもあるんだけど、なんだかいろいろと大変だったね〜。あとは、印刷及び製本スタッフの手を経て、刷り上がってくるのを待つばかり。書店に並ぶのは……えーと、近々にフォイルのウェブサイトでも告知があるはずだけど、2月の10日過ぎだろうか。お楽しみに。……つーか、渾身の連作短編集! 13人の女たち! 繰り返しになるけど、新たに3人を書き下ろし! 「サンドラ」は英訳も併録! すでにウェブで発表された作品もすべて推敲で20%はレヴェルアップ! ソフトカヴァーだから手に馴染むぜ! しかもフランス装(←知ってるか)だ! あ、そうだ、装画は、五木田智央氏! クール、セクシー&エキセントリック! ようするに、カッコいい! 帯に有名人のコメントとかナシ! そういう商法にそろそろおさらばしようぜ! 良いか悪いかは自分で決めろよ! Do It Yourself! Believe Your Feeling! But Don't Neglect Broadening The Intellect! すべての愛すべき女たちへ(←きみのことだよ)。すべての愛すべき男たちへ(←あんたのことさ)。一家に一冊(これ肝心)。買って(すごく肝心)読んでくれ。あ!ヴァレンタインのプレゼントにもいいんじゃないか! なんか素敵じゃん? チョコは不二家のハート型のやつでじゅうぶん(美味いしな)。よろしく。

さて、で、公式発表はまだのようだが、「女たち」の刊行を記念して……いや、必ずしもそういうわけではないのだけど、2月28日(土曜)の夜に、吉祥寺のセレクト・ブックショップ「百年」で、再び石川忠司氏と対談やります。昨年末の朝日カルチャーセンターの時とは趣をじゃっかん変えて(というか、場所柄おのずとそうなるのだけど)、ルーズに、ホットに、スポンテイニアスに。入場料も安いし(たしか1ドリンク付で1000円)、ライヴに行くような感覚で、あるいは飲みに行くような感覚で、来てね。詳細はあらためて。

1.06.2009

迎春とPARISとFALLと

あけましておめでとうございます。本年もお付き合いください。

年末年始はふいに思い立ってギリシャのクレタ島に……行けるわけはなく(そういうことしてみたいな)、例年になく地味な正月を過ごしたように思う。ただの連休というかんじ。

渋谷ル・シネマでセドリック・クラピッシュ監督「PARIS」を観た。日々の生活に追われている社会福祉士のシングルマザー(恋人も希望の類いもナシ)という地味な(というか、まあ、そこらへんにいそうな普通の)役を演じたジュリエット・ビノシュが素晴らしかった。ずいぶん前の映画だけど「存在の耐えられない軽さ」のテレザ役もそうだったし、「汚れた血」のアンナ役もヒロインのわりにはそうだったけど、この人は地味な/野暮ったい/疲弊した役をやらせると最高だな。生活に埋もれていないと滲み出ない女の色気、あるいは色気の残滓みたいなものが彼女の演技からは匂い立ってくる(そういえば、かつては、好きな女優を訊かれたらジュリエット・ビノシュと答えていたのだった)。映画自体はとても良いシーンといささか興醒めなシーンとが相殺して、結局、並みの出来になってしまっているように思った。あと、驚くべきことに、予告編ではキーンKeaneのセンチメンタルすぎる曲が映像を覆い尽くすような音量で流れていて、かなり警戒していたのだが、本編ではどこにも使われていなかった。ん? いや、もちろん、おれとしてはそれで正解だと思ったし安堵もしたのだけど、他方では構えていたぶん拍子抜けもしており、終演後にさっそく係の人に尋ねたら、「あれは日本だけのイメージソングです」ということだった。おいおい。そんなのアリかよ。ま、ようするに、あのくらい感傷的なムードで宣伝しないと日本では客を集められないという配給側の判断なんだろうけど。やばいね。やばいよ。こうして、わたしたちは文化の下り坂を転げ落ちてゆくのだ、たぶん。安直なローカリズムの信奉者はこれに異を唱えるのだろうけど。

元旦の夜遅くに、なんの気なしにレコードに針を落としたフォール/The Fall に、再び、魂をもっていかれた。以来、ハマっている。他のを聴く気がしないほど、ハマっている。じっさい、ここ数日はフォール以外の音楽をほとんど聴いていない。食事の時にも大音量でかけてワイフに煙たがられている。で、現在所有していない(というのは、何枚かはこんなにハマるとは知らずに20代の頃に引越だとか家賃を払うためだとかの理由で売ってしまったのだ)彼らのCDやLPを揃えていこうと思ったのだが、ちゃんと調べてみると、彼らのアルバムは、オリジナル盤だけで27枚、コンピ盤やライブ盤を合わせると100枚(!)にもなるようで、いきなり眩暈。膝が落ちるぜ。誰か金くれよ。それにしても、The Fallのイギリスやアメリカでの根強い人気や評価や影響と日本でのそれらとの甚大な差っていったいどういうことなのだろう。もちろん、彼らの最大の魅力のひとつが、マーク・E・スミスの辛辣にして難解な(…らしい)歌詞にあるということは明白なのだけど、おれは歌詞なんてほとんどわからずにハマってるぜ? やばいのはこのおれなのか? ……かもしれん。まあいいけど。ちなみに、おれは96年にハシエンダ@マンチェスターで、彼らのライヴを体験している。今となってはなかなかの自慢である。ヘヘへ。