3.28.2009

ハーフマラソンについて書くつもりが、ウェディングプレゼント。


 
 早いものでもう3月も終わり。ブログも更新できないままに日々が過ぎてゆく。毎日のように様々な出来事が、大なり小なり微小なりが、あるんだけどね、書き残せないまま。
 そうそう、例えば、the wedding presentのライヴに行ったりとかね。92年か93年(かその前後)に渋谷オンエア(と当時は単にそう呼ばれていたはず。箱の中はどうなっているのか知らないけど、現在のO-East)で観て以来。ひょっとして来日もそれ以来だろうか(それはないか?――そういうこと調べるのは面倒なので気になる人は自分で調べてください)。会場はO-East向かいの渋谷O-Nest。今どきウェディング・プレゼントを生で観聴きしたいと思うのはいったいどういう人たちなんだろう?という興味を道中にわかに覚えつつ、会場へ。若い子もちらほら見かけて驚いたけど、中心はやっぱ同年代。「ビザーロ」あたりからの真摯なファンと思われる。生き残り、と言ってみたい気持ちにも駆られるなあ。あと、外国人が多かった。とりわけ、男。なんとなく、イギリス人。おそらく、同年代。まさか、わざわざライヴを観に日本に来たわけじゃないだろうから、普段はベルリッツとかで先生をやってんだろうか。ライヴ中、最も盛り上がっていたのも彼ら。で、肝心のライヴは、「ビザーロ」からも「シーモンスター」からも「ヒットパレード」からも、もちろん最近のアルバムからも満遍なくやってくれて、まるで現時点でのベスト盤みたいな、嬉しすぎるセットリスト。音は、もう、そのまんま。レコードのまんま、昔のまんま。唯一無二のあれ。リアレンジしてみようとか、加工してみようとか、そういう意図はまったくないんだろうな。Gedgeの声も、そのまんま(と感じられた)。まあ、もともと、若々しい声じゃないんでね。ガサガサガリガリしたぶっきらぼうで荒々しいギターサウンドと、その中にひっそりと宿る、スウィートネスとセンチメンタリズム。印象に残ったのは、Gedgeが荒々しい音の渦中にあって、とても丁寧に歌を歌っていたこと。時にはゼスチェアまで加えて。もっとも英語なのでところどころしか、しかも簡単な英語のところしか聴き取れないんだけど「ぼくはまだきみを愛しているんだ」とか「きみがいなくてどんなにさみしいか」とか、そんな、なんと名状すればいいのか、青くて、脆くて、ダメな男の女々しい、つまりは他人事ではない!歌詞を。……それから、可笑しかったのは、そのGedgeが、おい大丈夫かよってこっちが気を揉むほど開演間際まで物販コーナーの周囲でうろうろしていたこと、かつ、終演後、おれらが会場から出てきたら、すでに物販コーナーの脇にいたこと。そりゃ早すぎだろ。着替えくらいしてこいよ。握手してもらったら、手のひらは果たして汗で濡れていた。ともかく、素晴らしいライヴ。生き残るぞ、と思わせてくれる素晴らしいライヴ。
  
 あれ? WPのライヴについてなんて書くつもりはなかったんだけどな。そうじゃなくて、ハーフマラソンについて書くつもりだったんだが。というか、しばらく連載的にハーフマラソンとそれにまつわるいろいろについて書いてみようかと。まあいいか。次から。気が変わらなければ。
 
 写真は本文とはまったく関係ありません。ミラノの街角の古本屋。

3.12.2009

書を携えて旅に出よ


駆け足でミラノとパリに行ってきた。

ほんとうは、なんであれ、慌ただしく行動するのは苦手なのだけど、今回はまあ時間的にも金銭的にものんびりする余裕はなかったので仕方があるまい。ミラノ行きの飛行機の中で堀江敏幸の『郊外へ』を読む。エッセイと小説のあわいをたゆたうような端正にしてチャーミングな文章にうっとりして眠り、目覚めてはまたうっとりしてるうちにミラノに到着。そのミラノはずっと雨。冬の雨。冷たい雨。不法移民らしき中近東系の物売りから5ユーロで折りたたみ傘を買い、ひたすら石畳の街路を歩いた。ほとんどあてずっぽうに、というのはなぜかガイドブックに路線図が載っていないからなのだが、トラムに乗ったりもした。あるいは、カフェで立ち飲みエスプレッソ。書店でうろうろうきうき。ヘンリー・ミラーの『北回帰線』のハードカヴァーとアラン・シリトーの『長距離走社の孤独』のペイパーバックをジャケ買い。ほんとうはミラーの『セクサス』『プレクサス』『ネクサス』三部作ボックスが欲しかったのだが、値段を見て断念。まあ、どうせイタリア語じゃ読めないんだし。いや、読める読めないはじつは関係ないんだけど。書物というモノが好きなんでね。一人で食べる晩ご飯はさすがにわびしいけど、しかし極上のペンネ・アラビアータと廉価の赤ワインとキュートな給仕の女の子がそれを癒してもくれる。ミラノ中央駅から列車に乗ってパリへ。列車の中ではケルアックの『オン・ザ・ロード』を原書で。そういえば、ケルアックの英語に触れるのははじめてだったかもしれない。これがまた、なんともチャーミングな英語で。端正ではないけれど、程よいルーズさが孤独な心を温めてくれる。などと生意気にも感じるのは青山南の新訳の印象が残ってるからか。とまれ、いつのまにか列車の走行リズムに合わせて眠っている。目覚めると、そこはアルプス山中。一面の雪景色。うそだろ? いや、まじだ。ほんとに雪だ。ヨーロッパの雪だ。白い夢じゃないぜ。車掌がイタリア人のでっかいおっさんからフランス人のでっかいおねえさんに変わる。だから挨拶も「ブォンジョルノ」から「ボンジュール」に。パリでは友人たちに一年半ぶりの再会。抱擁。とらやの和菓子と『女たち』を渡す。英訳の「サンドラ」だけは彼らも読んでくれるだろう。そして、今回の旅の一応のメインである、セミ・マラトン・デ・パリに出場。ようするに、ハーフマラソン大会。大会というよりフェスティヴァルといったほうがいいかな。練習不足が祟って、ちっとも良いタイムじゃなかったけど(1時間59分58秒)、とても楽しく走った。なんつってもパリの市街とヴァンセーヌの森を走るんだからね、眺め抜群、雰囲気ワンダフル。まるで映画の中を走ってるみたいだわ♥。沿道では様々な人々が様々な音楽を、シンフォニーやらアフリカンビートやらロックンロールやらを、生演奏していて、iPodは不要だったかもしれない。もちろん、その日以外は、ミラノ同様、ひたすら歩き回る。歩き疲れたらカフェでKate Bravermanの"Squandering the Blue"を電子辞書を引きつつ。読み疲れたら通りを行き来する人々をぼんやり眺め。きれいな女性に目がいくのはいつものことだけど、今回はやたらと初老のおっさんに目が奪われる。なぜかを考えたけど、端的には言えないのでここでは割愛。そうしてやっぱり、書店でうろうろうきうき。ミシェル・ウエルベックやマリー・ンディアイの原書や(結局)ブコウスキーや(相も変わらず)ミラーの仏語訳を購入。買い物は本だけ。あ、塩とウエハース・チョコレートも買ったか。と、そんなかんじで、駆け足のミラノとパリの旅は終わり。関空(成田への直行便が取れなかったので)への機中ではシャンパンと白ワインでぐでぐでになりながらコーマック・マッカーシーのクライム・ノヴェル『血と暴力の国』を。No Country For Old Men.

ざっと乱暴に書いたけど、こういうのをいずれつらつらと書いてみたいね。それこそ、堀江敏幸さながら、エッセイと小説のあわいを優雅にたゆたうように。もっとも、おれが書くと、あのような品位や含蓄は出ないんだけどさ。

うん、これからも、日常と旅先を、日本と外国を、日本語圏と日本語圏外を、往還していたいと強く思った。そんな形而下の、ひたすら地上的な往還の中でしか、見えてこないものがあるのです。みなさん、書を携えて旅に出ましょう(笑)。……(笑)は、みっともないから取るか。書を携え、旅に出よ。ピース。

3.03.2009

小説について語る時にわたしたちの……

百年でのトーク・イベントに来ていただいた皆さん、ありがとうございました。

そして、すまん! 自ら懸念していた中川(酩酊)状態になってしまった。少量のアルコールを体内に注入して、脳をほぐし舌を滑らかにするつもりが、ついつい。ふと気付けば、脳は固まってるし舌はもつれてるし。……しかし、弱くなったよなあ。おれも確実に老化してるということなのか。

あとで、素面で反芻すれば、当然ながら、あの話をすべきだった、とか、あの話はすべきじゃなかった、とか、あの話はああではなくてこのように話すべきだった、とか、多々あるんだけど。

とりわけ、もう少し、日常的な視点で、生活に即した文脈で、小説の話をするべきだったと思う。せっかく「女たち」も出たばかりなんだし。もっと、チャーミングになりえたはずの小説の話をね。……つまりは、石川さんのパワフルな論法に寄り切られたってことなのか…笑。

それとね、質問コーナーの時に感じたことで、ここであえて言っておきたいことを。
ああいう、なにげに高踏な、ややもすれば小難しい、あるいは純理論的な、話題が飛び交ってる時に、卑近な、素朴な、あるいは(英語の形容詞を使えば)プラクティカルな、話題を持ち出すのって、かなり気が引けることだよね。けど、恐るる事なかれ。ひょっとすると、一見バカっぽいカジュアルな問いかけこそが、とんでもない深遠な真理を突き刺しているのかもしれないのだから。

最後のほうで、「もっと鈴茂さんの話が聞きたかった……」と、おそるおそる発言してくれた前列のショートカットの女の子。わかるわかるすごくわかるよ、あなたがその単純かつ朴訥な問いかけの奥底で、じつは何を言わんとしていたのか。期待に応えられなくて申し訳ない。また、次の機会にね。ともあれ、あの場面でそのような発言をしてくれたあなたの勇気に、リスペクトとサンクスを表します。