5.28.2009

鈴茂の月刊フィルム・レヴュー

欠落感は埋まらないけど、まあなんとか。
弔いのメールをくれたみなさん、ありがとう。

5月もそろそろ終わりということでこのひと月ばかりに観た映画を(いきなりどうしたの?ってかんじだけど)星☆評価で。最高は五つ。★は☆半分の意。

『MILK ミルク』ガス・ヴァン・サント監督 ショーン・ペン主演
☆☆☆☆
四つ。素晴らしい。普通に感動した。普通に、というのは、カメラワークがどうとかプロットがどうとかそういう言わばこましゃくれたことで脳を汚さずに、ただもう純粋に映画内世界を享受した、ということ。最後のほうは泣いたね。映画を観ながら鼻水をかむなんて久しぶりだ。しかし、映画館を出たとたんに気分が曇る。というのは、やっぱアメリカっていいよなあシンプルだしダイナミックだしって思って……だってあんなふうにたとえゲイだって市議会議員になれて……つまりはどんなマイノリティーだって強い信念を持って行動を起こせばちゃんと支援してくれる人が現れ出てそうしてわずかながらでも社会は動き歴史は更新されてく……それに比べて世襲のブタどもがのさばってそれをまたアホな大衆がちやほやしてヌルくてヘナヘナでむにょむにょで社会は滞り歴史は間延びする……権力とか薄っぺらい良識とかに対峙すべきマス・メディアはポピュリズムだかなんだか知らないが結局のところ体制側になびいて安全圏に逃げ込んで……いやいやそんな遠くのことじゃなくてもぼくらの生きる卑近な日常においてもその人の立場によって接する態度をこせこせと変え仕事や作品そのものに真摯に対峙するんじゃなくて村的な関係性の中で優劣を決めて……ようするに強きを助け弱きを挫くのかよ〜みたいなのが平気で横行するというかほとんど常識のようにさえなっているこの腐ったトマトのような我ら日本人と日本社会を思って気分が曇ったのですよ。いつのまにかミルクの話から三万光年くらい離れてますが。しかも酔っ払いの愚痴みたいになってるし。……ええと、それで、泣くほど感動したのに、なぜ☆が四つかというと、やはりどこかに映画を観ながら脳を汚されたい、という、ともすると鼻持ちならないこましゃくれた気持ちがあって……。

『スラムドッグ$ミリオネア』ダニー・ボイル監督
☆☆☆★
三つ半。まあ良かった。まあ楽しめた。ドキドキもしたしジーンともした。なかでもスラム街のシーンにはすごくリアリティーがあって身震いした。カメラワークもなかなか斬新だしプロットもなかなか工夫してあるし音楽なんかもアカデミー賞受賞作品ってことで「クレイマー、クレイマー」なんかをなにげに喚起させつつ観に行った温良な人を少なからずビビらせるぐらいにはブイブイいってるよね。けどね〜。なにかが足りないんだよな〜。ようするにいろいろと派手にやってるけどしょせんはスクエアだってことなのかな。例えばさ、今、この2009年に、ビートルズの「ヘルプ!」とか「ヘイ・ジュード」を聴いて、ほんとうに心から感動できる? 感動できるっていうか、完全に向こう側に持っていかれる? おれは持っていかれないな。あるいは、カート・ヴォネガットの小説に出てくる言葉を。「人生について知るべきことは、すべてフィードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこう付け加えた、「けれどもう、それだけじゃ足りないんだ」」。

『ウェディング・ベルを鳴らせ』エミール・クストリッツァ監督
☆☆☆☆★
四つ半。五つでもいいんだけどあんまり簡単に五つをつけるのもどうかという喪中ならではの沈着さもあって四つ半。正確には四つと四分の三。最高(の域)。ブラボー。持っていかれたぜ。全編を通して漲るエネルギーと緊張感とセンス・オブ・ブラック・ユーモアと。ハードコア・パンクである。いや、パンクという言葉もいいかげん擦り切れてきて使うのをためらうのだが、ここはハードコアという形容詞を添えた上で、あえて使いたい。簡単に言っちゃうと、ドタバタ・ハッピーエンド・コメディなんだけどさ、おれはね、この映画の通奏低音として、ハッピーとは裏腹の、半端じゃない「怒り」を感じた。そうなんです、「怒り」を含まぬものに、わたしは安々と持っていかれたりはしないのです。それと、花嫁役のマリヤ・ペトロニイェヴィッチという、この映画がデビュー作になるらしい女優が最高にキュートでね。たまらんよ。目眩がするよ。その晩の夢に出てきたよ。ちなみに、渋谷シネマライズに、過去のシネマライズ上映作品のパンフを持っていくと、1000円で鑑賞できます。称賛されるべき嬉しい企画じゃないか。

『スウェーディッシュ・ラヴ・ストーリー』ロイ・アンダーソン監督
☆☆☆☆☆
五つ! いや、これは、我が家の小さなモニターにてDVDで観たものなんで、ちょっと反則なんですけど。かなり遠くまで……対岸どころか、次の河の土手にあるテニスコートまで持っていかれたね。なんですか、この映画。変です。まあ、通常の意味では、破綻してます。タイトルとポスター(やスリーヴ)のイメージから、ロイ・アンダーソンが撮った、唯一の、ピュアな、まあ今日の文脈からいえば、スクエアな、思春期恋愛映画だと思ってたの。それが。おいおい。うちのおふくろ(ちなみに『スラムドッグ〜』は観に行ったらしい、感想は聞いてないけど)とかが観たら、頭おかしくなっちゃうよ。いや、もちろん、ただ「変」という理由で、☆を五つつけたわけじゃないんだけども。最高のリリシズム。なのに、卑近な社会性を帯びることを厭わない勇敢さと(たぶん)怒り。ロイ・アンダーソンの芯には、常に半端じゃない怒りがあるんだと思う。

もっと怒れ。きみの目の前の現実に。
そして、ファック・ザ・ユニバース。

5.19.2009

猫以前と猫以後

ご無音、お許しを。リチャード・ヘルです。
ベルホヤンスク山脈をトレッキングしてました。

土曜日にうちの黒猫でんが死んじゃってね。参ったね。
まあ、16歳だし、慢性腎不全と糖尿病に加え、最近、食道ガンも発覚して、もう長くないことはわかっていたんだけど、それにしてもこたえた。

じつは、おれにとってはじめての猫だったんだ。当時すでに6歳だったあいつに会う前のおれは、明らかに犬派。猫はどちらかというと苦手だったかもしれない。あいつもそのことを感じたんだろう、最初のうちはどうにもしっくりいかなかった。それがいつのまにか……。

大袈裟な物言いかもしれないけど、おれの人生はいまのところ、猫以前と猫以後に分かれると思う。小説を書き出したのも猫以後だ。
・・・・・・ダメだ……書けねえぞ。ファック・ザ・ユニバース。

喪中。
ということで。