7.31.2009

おれにもバカンスを!

こんにちは。
まったく暑いね。まあ、暑いのはいいけど、この暑さの中で普段と同じように仕事をしなくちゃいけない、ってのがうんざりだな。すべての市民にバカンスを! そんなマニフェストはないものか。フランスでは、母子家庭とかに「バカンス手当」ってのが出るらしいぜ。富める者も貧しき者もすべての国民はバカンスを過ごす権利がある……という。「最低限度の生活」という定義に対する解釈が、ジャパンとはとんでもなく違うわ。

さて、みなさんお気づきのように、我がウェブサイトをリニューアルしました。筋金入りのキャット・パーソンでもある、平田陽子さんがデザインしてくれました。マンチェスター・ユナイテッドの買収に乗り出すべく円満退社した秘書のEを引き継ぎ、今後はサイトの管理も彼女にやってもらいます。まあ、このブログでは、彼女を「Y嬢」と呼ぶことにしようかな。どうぞよろしく。……っておれが言うのも変か。あ、男子諸君よ! Y嬢は残念ながら人妻である! しかし、希望は捨てるな! いい女は常に人のモノだ!

え〜と、なんだっけね、今日書こうと思ってたことは。……あ、まず、あれだ、たしか今日発売の「remix」9月号に、編集部桑田氏との特別対談が載っています。当初の予定ではエッセイ連載だったのだけど、いろいろと諸事情があり(こういうのばっかだな、おれって……この諸事情についてはいずれ良き日に……)、特別対談ということに。これがまあ、自分で言うのもなんだけど、なかなか面白いのよ。ぜひ、ご笑覧を。この対談は来月号でもやります。

……それから……なんだっけね? 
あ、そうだ。この間、おふくろに、猫ちゃんの名前変えたんだって?ブログによると……とか言われて……というか、手紙にそう書かれていて。いつのまにブログを読んでんだよ?おふくろは。パソコンはいじってないはずなんだが。困りますね〜。親は息子のブログを読んではいけない! それはそうと、猫の名前はブログのほうが古いわけで。ここでは「キッチ」と発表した雉子虎猫の名前はとっくに「キキ」と改名しております。しかも、ずいぶんデカくなりました。もう小学校高学年っていうかんじかな。



つーか、そんなしようもない話題じゃなくて、もうちょっと重要なのがあったはずなんだけどな。
……忘れたぜ!
ま、いいや、今日はこれでアップ。

7.25.2009

痩せ細った世界

 気がつけば、ひさしぶり。ここんところなんだかんだと忙しいんだよね。その、なんだかんだ、については、おいおい書いていくつもりだけど。

 今日は少し『1Q84』の話でも。
 このブログを定期的に読んでくれている人はおそらくご存知だと思うけど、ぼくは、日本の文芸については、いや、文芸だけではないな、日本の映画についても日本の音楽についても、大絶賛の場合を除き、なるべく書かないようにしているのね。ようするに、いろいろと面倒なんだよ。直接は知らなくとも、間接的には知っていたりするし。絶賛の時は「最高!」で済むけど、批判するにはそれなりのロジックが必要になるし。ただの「いちゃもん」が一種の諧謔として受容される可能性は、現在の日本社会では極めて低いし。というか、人との関係性を離れて、作品そのものと対峙する批評が、差しさわりなくまかり通るほど、成熟した社会には住んでいない、残念ながら、ぼくらは。……まあ、とはいえ、多額の原稿料が発生するならばやってもいいんだけどね(現金なおれ!)、ブログでそこまでやる体力も気力も金力もわたしにはありません。
 しか〜し。村上春樹くらい雲の上の作家の作品についてならば、ちょっとは「いちゃもん」を付けてもいいんじゃないかと。村上春樹はすでに〈Haruki Murakami〉という国際的な作家でもあるわけだし。そのように思い、今日はキーボードに向かっております。
 
 そう、じつは、しばらく前から『1Q84』を読んでいるんだけど、なっかなか進まない。なっかなか物語に入っていけない。もっとも、まとまった読書時間を取れないせいでもあるんだけど、どうもそれだけではない。ふと気づくと別の本を読んでいたりもするし(おれの鞄の中にはたいてい複数の本が入っているので)。なんでだろう? 
 いくつか理由は考えられるんだけど、その最たるものは登場人物の造形なんだと思う。つまりね、どいつもこいつも、ストイックで勤勉で何をするにも手際が良く(それぞれの位相において)雄弁で(それぞれの分野において)有能なんだよ。それも半端じゃないレヴェルで。(1巻の終盤に差し掛かった今のところ)ただの一人も、チャーミングだけどぐだぐだな奴とかがんばり屋だけどとことん凡庸な奴とかお人好しだけど悲しいかな愚鈍な奴とかは登場しない。女主人公に殺される、小説内の表現では「ネズミ野郎」でさえ、ドメスティック・バイオレンスの人非人ではあるけれど出自はめっちゃ良いし仕事においては異様に能力が高い。そういう、卓抜した、しいて言えば、超越した、人物しか登場しない小説世界にあって、それを読むおれは、ここでは名も与えられていない、その他大勢の人間の一人だって感じるわけ。小説世界からあっさり締め出された、とるに足らない人間の一人だって感じるわけ。ようするに、疎外感というほかないものを。で、いつのまにか、白けてる。眠くなってる。眠ってる。
 まあ、小説ってのは、物語ってのは、フィクションってのは、そんなもんなんだ、っていう考え方もあるだろうし、その考えにはたしかに一理ある。ぐだぐだな人間ばかり登場してたら、ストーリーはたいして進捗しないだろう。少なくともドラスティックには展開しないだろう。でも、ドラスティックに展開していけば、それで万事オッケーってわけじゃない。というか、超越的な登場人物によるドラスティックな展開の物語、なんて、あまりにも前近代的じゃないか。もっとも、村上春樹は、そのあたりをきちんと踏まえた上で、2009年の今、あえて大文字の物語に挑戦してるのかもしれないけど。……しかしねえ。
 いま、そのあたりを踏まえて、って書いたけど、じつは、そういう大層な使命なんかよりも、むしろ単純に、実存的に、春樹さん自身が、ストイックで勤勉で手際の良い人であって、ぐうたらで怠惰で手際の悪い人間が好きじゃない、もっと強く言えば、嫌っている、というのが、身も蓋もないけど、事の真相なんじゃないか、と(意地悪くも)睨んでいる。だから、ホメロスやシェイクスピアやドストエフスキーを読んでも感じたことのない、疎外感を、締め出されている感を、ぐだぐだな(!)おれは覚えてしまうのではないかな。
 このへんのことと関係して、ふと思い出したのが、またしてもチャールズ・ブコウスキーの言葉で、かのぐだぐだ野郎は(おおよそ)こんなことを言っていたはず――「午前八時にタイプライターに向かっている奴から本当のユーモアが生まれるわけがない」。この名言、あるいは迷言は、一方で、おれのような怠け者に寝坊する格好の口実を与えてくれもしているのだけど、他方でやはり、なかなかに正鵠を得ていると言わざるを……いやいや、正鵠を得ている、なんて物言いは、ブコちゃんには似合わないな、うん、とにもかくにも、痛快だ。
 そうなのだ、『1Q84』には、至る所に「ユーモアのようなもの」が、ちりばめられているのだけど、率直に言って、これらの大部分が寒い。真冬の、とは言わないけれど、春先の礼文島くらいには、寒い。やっぱ、春樹さんのようなストイックで早起きで勤勉な人って、おうおうにしてユーモアのセンスが欠落してくるのではないだろうか。「ユーモアのセンス」の代わりに、「慈しみ」や「豊饒さ」という言葉を入れてもいい。
 ま、こういうのは、ぐだぐだ野郎の惨めな遠吠えなんだろうけどね。――たしかに、勤勉さが達成させる偉業は数多いだろう、けれども、時にそれは、その人間とこの世界を危険なほどに痩せ細らせる一因であるかもしれないんだぜ。気をつけろ、「勤勉さ」とやらに。疑いの目を向けろ、「一生懸命」とやらに。
 
 というわけで、読了してもいない『1Q84』に、いちゃもんを付けてみました。読了してから書こうと思ってたけど、永遠に読了できないかもしれないし。読了してしまうと、いちゃもんは付けられないかもしれないし。

7.07.2009

ポップコーンをほおばって

……というのは、甲斐バンドの曲のタイトルなんですけど。

夕方、車の中でipodをシャッフルにしてたら、急に(まあ、シャッフルなんでどの曲も「急に」かかるんだけども、それにしても「急に」という表現がぴったりに)この曲が流れまして。どうして、ぼくのipodの中に甲斐バンドが入ってるのかもいまいち不明なんだけど(CDは持っていないし、購入した覚えもない、たぶん、なんかの折にツタヤで借りたんだろう)。率直に言って、がつ〜ん、とやられました。イントロで「ん?なにこれ?」となって、Aメロではちょっとだけ醒めて、けれどもサビの「ポップコーンをほおばって 天使たちの声が〜」で、頭がくらくらした。やべえよ。こういうこともあるんだよなあ。青天の霹靂っていうの?ヒョウタンから駒が出るっていうの? それで、今、アマゾンとかで調べたら、2007年だかに、ベスト盤が出ていて、そこに入ってる「ポップコーンをほおばって」がデジタル・リマスタリングかつRemixedだったので、それを明日にでも購入しようと思う。それとも、往年のライブのDVDにしようかな。83年だかに、新宿副都心の高層ビル街でライヴをやってるらしいんだよね。やっぱ、70年代から80年代ってのは、日本のロックもアグレッシヴだね。と思った。

ちなみに、今日のipodのシャッフル君はなかなかイカすやつでね。この甲斐バンドの次が、ベス・ギボンズ。以下→セックス・ピストルズ→シコ・ブアルキ→トッド・ラングレン→ラウール・プティット(フランソワ・ベランジェのカヴァー曲)→ベス・オートン→ジャーヴィス・コッカー→ピーター・ビヨーン&ジョン→電気グルーヴ→ルーツ→レッチリ→マイケル・ジャクソン、という流れ。このくらい大胆かつハイブリッドに行きたいね、次のDJは。そして、願わくば、人生も。

取り急ぎ。
何が取り急ぎだ。