4.09.2010

ゴミを携えたままのデートじゃ話も弾まないぜ

花冷えのする日が続いたけど、今日は春らしい陽気。ウキウキ。……いや、それはちょっと嘘。

このあいだ、電車の中で、ミスタードーナツの紙袋をくしゃっと丸めて座席の下に捨て置いたら、向かいに坐っていた推定年齢38歳7か月のヴァイオリンケースを抱えた女性に物凄い形相で睨まれた。知らんぶりして読書を続け、5分くらい経ってから再び目をあげたら、女性はまだ睨んでいた。怖かったなあ。

そりゃまあたしかに、ゴミを車内に捨てたんですけどね、ぼくにもちゃんと考えがあるのであって。

何年か前から駅にゴミ箱がないじゃん。公園とかのゴミ箱も撤去されたじゃん。日本全国すべての駅や公園がそうなのかは知らないけど、ぼくが普段使う沿線や公園にゴミ箱はない。表向きは「テロ対策」とかで。他に理由はあるのかな? それも知らないんだけど、ともあれ、このことにぼくは猛烈に腹が立っているのですよ。ちなみに、もっともテロが懸念されるはずの、あるいはもっともテロ阻止に躍起になってるはずのアメリカ合衆国には、ぜんぶは知りようがないけど少なくともぼくが二年前に行ったシカゴやクリーブランドやニューヨークには、ちゃんと公共のゴミ箱がありました。去年行ったパリにもこれまで同様にあったし、五年ほど前に行ったポルトガルにもありました。この「テロ対策」ってホントですか? ゴミ箱をなくすことがホントに「テロ対策」になってるんですか? ただ、ゴミ清掃に係わる人件費を削りたいだけなんじゃないの?とぼくは睨んでるんだけど。これは逆にいうとゴミ清掃に係わる人たちの雇用が奪われてるってことですよ。つーか、そもそも、超不便なんですけど。「ゴミは各自持ち帰りましょう」っていう看板を公園とかで見かけるたびに憤怒で視界が狭まります。例えば、公園にピクニックに行ってブランチだかランチだかを食べて、またすぐに家に帰る時はまあいいけど、その後でどこかに出かける時は、ずうっと紙くずやら食べ残しやらを携えていなくちゃいけないわけ。あるいは、駅のホームで鼻水をかんでも捨てるところがないから、鼻水で湿気ったくしゃくしゃのティッシュをズボンのポケットにつっこんだまんまで重大な打ち合わせとかをしなくちゃいけないわけ。あと、以前コンビニで働いてたからよくわかるんだけど、街に公共のゴミ箱がないから、みんなコンビニのゴミ箱に捨てていくのね、コンビニとはまるで関係のないゴミを。あれ、従業員にとっては余計な仕事が増えてすごく大変なんだからな! しかも、お店のゴミってのはたいてい業者に頼んでいるから捨てるのもいちいち有料なんだからな!(そういうのが結局スタッフの時給に響いてくるんだぞ!) まあ、ともかくね、ぼくは、明らかに利便性の高いはずの公共のゴミ箱を設置しないっていう政府や自治体や鉄道会社の方針に(しつこいけど)怒ってるんです。こういうところにこそ税金を使えよ。あるいはカスタマーサービスってのはこういうことこそを言うんじゃないのか? そんなわけで、一種の抗議行動として、ぼくはあえて街中にゴミをまき散らしてるのですよ。どうだ!へへん! ……って、まあ、威張れることじゃないのは重々承知してるけど、ぼくを延々と睨みつけていたヴァイオリニストにはそのへんのことをわかってほしい。あんたが抱えてる小さなモラルのこともわからないではないけどね、こっちはもっとでっかい倫理を背負い込んで、今にも潰れそうなんだぞ。

まあ、ゴミのことに限らずさ、せこいモラルを抱えた奴らばっかりで、嫌になっちまうぜ。せこいモラルってのは世の中を窮屈にするだけなんだよ。

ここで終えると雰囲気悪いかもしれないので(笑……つーか、口調のわりには、本日の桜井はなかなかに上機嫌です)、最近読んで感動した本を一冊紹介しておこっと。

今さらなんですけど、デニス・ルヘイン著「ミスティック・リバー」。クリント・イーストウッド監督、ショーン・ペン主演によって映画化されているので、ご存知の方も多いかと思いますが。映画も良かったけど、小説はもっと凄かった。映画では描き切れていない細部が小説では丹念に描かれていて、しかも、それは映画がそれとなく示唆していたことであったりして、読み終わった後はすでに観た映画をもっと評価できるようになる、という素晴らしい循環。

ではまた。