7.10.2008

とくべつな日本の私


 とくに書くことないんだよ。アメリカのネタはいくらでもあったんだけどね、ちとタイミングを逸したしね。まあ、タイミングなんてシカトして、書いてもいいんだけどね。書くか? 書こ。
 あのね、本屋さん。これはアメリカに限ったことじゃないんだけどね、というのはポルトガルの本屋さんもそうだったし、パリの英語の本屋さんもそうだったし、シンガポールの本屋さんもそうだった――、日本ではどんなに小さな本屋さんでも、日本文学と海外(翻訳)文学のコーナーは分かれてるでしょ。大きな本屋さんは海外文学をさらに国別に分けてたりするでしょ。これがね、ひょっとすると非常に日本固有のやり方かもしれないんだよね(断定できないのは、すべての国の本屋さんに行ったわけではないからーーあたりまえだけどさ)。アメリカ(に限らず、その他、前述のとおり)では、ジャンルにしか分かれていません。文芸Literature、ミステリーMystery、ロマンスRomance、あとSFとかTeenとか(もちろん、本屋の規模が小さければ、文芸とミステリーにしか分かれていなかったりもする――そう言えば、シカゴ大学生協書籍部は、ドストエフスキーもヴォネガットも三島もエルロイもジム・トンプソンもぜんぶ同じ棚だった)。で、それぞれが著者名のAtoZで並んでいる。つまり、だ。例えば、Kの欄には、Kafka(,Franz)が、Kawabata(,Yasunari)が、Kerouac(,Jack)が、Mの欄には、Maugham(,W.Smerset)が、Miller(,Henry)が、Murakami(,Haruki)が、入ってるわけ。わかる? おれのいいたいこと?(なんか、かんじ悪、きょうのおれ。)要するにね、アメリカの国内文学である(=翻訳ものではない)ケルアックやミラーが、海外=翻訳文学であるカフカや川端康成や村上春樹と同等に扱われているの(サマセット・モームはイギリスの作家なので、アメリカにとって海外文学でありながら翻訳ものではない、という変なカテゴリーになるんだけど)。国内か海外かはどうでもよくなっているんだよ。最初に何語で執筆されようが文芸は文芸じゃん、という。ひいては、読者も(おそらく)英語ものか翻訳ものかなんてあんまり気にしなくなるよね。だって、ボルヘスBorges(アルゼンチン)の並びにブコウスキーBukowski(アメリカ)があったり、カポーティCapote(アメリカ)のならびにチェーホフChekhov(ロシア)があったりするんだから。おれSakurai(日本)の本がいつか英語に訳されたらサリンジャーSalinger(アメリカ)やサルトルSartre(フランス)と同じSの欄に入るんだぜ! これって素晴らしいことだと思うな。それに比べて、ここ日本では、どうして日本文学のことをこんなにも特別に考えるんだろうね。繰り返しになるけど、日本では図書館でも本屋でも絶対(100%)に、日本ものと海外ものは別の棚に置かれてる。だから、読者も「翻訳ものは苦手!」とか「やっぱ日本人じゃないと感性がねえ」とか平気で言うようになるんだよな。これはあんまりいいことじゃないと思う。
 日本人が日本人や日本社会や日本なんとかを特別に考えているらしい、もうひとつの例をついでに。ずいぶん前(…前というよりは昔か――まだ万引きとかしてた頃)に、おれはすごいことに気づいたのだ。日本の出版社から出ている世界地図帳には日本が載っていない!と。日本は世界に含まれないのか! そのことに気付いたきっかけは、イギリスとかスペインとか、まあどこでもいいんだけど、それらの国とおおよそ同じ縮尺で日本を見てみたいと思ったの。バルセロナとマドリッドの距離感って日本に置き換えると東京と何処くらいの距離感なんだろう、とか、イビサ島って日本の島でいうとどのくらいの大きさなのかなあ、とか知りたくなってね。ところが、今言ったように、日本の世界地図帳には、日本のページはないのだ! 日本の地理を知りたかったら日本地図帳を見なくてはならない。見ればいいじゃん? いや、ダメなんだな、この目的のためには。なぜって日本地図帳では縮尺があまりにも違いすぎて、まったく別世界のようになってしまうから。あれ~世界地図帳ってそんなもん?とずっとひそかに思ってて、ついにイギリスに行った時にイギリスの出版社から出ている世界地図帳を買った。すると、ふつうに、あたりまえのように、イギリスのページがあって、他の国や地域と同じように、同じような縮尺で載っている。べつに自分の国だからって特別扱いしてないわけ。そして、当然ながら、日本のページもあって、おれは、このイギリスの世界地図帳で、はじめて世界地図帳的縮尺ともいうべき大きさで載っている日本を見たのだった。

だから何って?(こういうこと言うやつは嫌いです、ちなみに) まあ、言いたいことはあるんだけど、この先はちゃんとロジックを組み立てていないので、タオルを投げるけどさ(ハハハ!)、生理的なことを言わせてもらえば、気持ち悪いのだ、日本における日本の特別扱いが。だって、自分のことを特別な人間だと思ってるやつって気持ち悪いじゃん。おめでたいじゃん。俺ヤザワ、そーゆーこと。みたいなのは、まあ、面白いから、いいけど。

写真はニューヨーク近代美術館(MoMA)にて。