4.02.2008

タンガニーカ湖の水質調査に行ってたわけじゃないんです。

いつものことだけど、しばらくです。けど、今回の、しばらく、には、いつもとはべつの理由があってね。タンガニーカ湖の水質調査に行ってた、とかとはべつの理由が。皆さんご存知のように、おれ、基本的には、このブログには真面目な、というか、シリアスなテーマについては書かない、と決めてるわけ。誰かと論争になるようなこととか、批判めいたこととかは書かないってね。あと、感情を吐き出さざるを得なくなるような私的なことも。それがおれにとってのブログの流儀。ね? だって、ここには編集者がいない、つまり、検閲の機能がまったく働いていないわけじゃん。書くのもおれなら、アップするのもおれ。垂れ流しで書いてたら、それこそ収拾がつかなくなるでしょ。まあ、じっさい、ネット海を漂っていると、そういう光景に遭遇することが多々あるんだけどね(それこそがネット空間の面白いところ、と言えなくもないんだが)、少なくともおれは、自己抑制のないブログや、ひき逃げ的な書き込みを心から軽蔑してる。あ、だから、もちろん、プロの批評家や小説家が、自分の名前を晒して、つまり、自分の職業生命を半ばかけて、書いてるのはいいんだよ。それは非常に真摯な姿勢だから。ちょっと矛盾するかもしれないけど、そういう意味では、おれも名前を(顔も!)晒してるわけだし、なにを書いてもいいんだろうけど、原稿料なしでそんなタフなことやってられっか、ってのもあって(これは重大)、書かない。
ところが、この間、久しぶりにネット海に、しかも大海ではなく、内海に出ていたら、とあるブログに、看過し難い寸評があってね。頭に来たし、正直、傷ついた。具体的には、群像に掲載された「ウィンタータイム・ブルーズ」を批判してるわけだけど、その批判内容はどうでいいの。おれの小説をどう読もうが、どんな感想を持とうが、それは言うまでもなく、それぞれの自由なんだから。おれが愕然としたのは、おれとその人との個人的関係にもかかわらず、批判めいたことを、ブログというパブリックなスペースにぬけぬけと書いてしまうっていう行為。人間関係の如何にかかわらず、作品を批評し、それを公共の場に、しかもまったく検閲のない場に、書くことが、クールだ、とでも思っているのだろうか。つーか、あんたはプロの批評家? なんか勘違いしてないか? 何か言いたいことがあったら、おれに直接言えばいいんじゃないの? 電話番号だってメールアドレスだって知ってるんだしさ。・・・おれの言いたいこと、皆さんに伝わってるだろうか? 要するにね、例えばだけど、おれが、曽我部恵一の新曲に、批判的な感想なり意見なりを持ったとするよ。でも、それをずけずけとこのブログに書く? 書かないよ、絶対に。だって友人じゃん。そういうのは本人に会った時に「おれはこれこれこう思うんだよねー」って伝える。繰り返すけど、それが友人ってことだし、言い換えれば、愛の希薄なこの世界における死守すべきささやかな愛だし、あるいは愛なんていう野暮ったいかもしれない物言いを避けるなら、マナーや抑制の箍が外れた荒れ狂うネット海での、最低限のマナーや抑制ってもんじゃないのか。
というようなことを書こうか書くまいか、書くとしたらどんなふうに書こうか、迷っているうちに、しばらく、になってしまったのである。結局、こんな書き方になってしまったけどね。
次回からは、また、テキトーなブログに戻ります。楽しみにしててね。あ、いや、楽しみにしてもらうほどのブログではないんだが。ほんとは今日も映画の話をしたかったんだよなあ。「ダージリン急行」! 「コントロール」!