7.31.2008

ネジは西ドイツ製

 このブログにはシリアスなこと(含む、日本の文芸ネタ)とあまりプライベートすぎることは書かないって決めているのだけど、そのせいでぜんぜん書くことがない。ということは、おれの日々はシリアスなことととてもプライベートなことで成り立っているということなのか。そうかもしれん。いや、そもそも人生からシリアスなことととてもプライベートなことを引くとなにが残るんだっけ? あ、そうか、最近あんまり映画観てないな。音楽もそれほど(除く、流し聞き)。それで書くことないのか。フジロック? フジロックは行けなくなったんだよ。うちの老黒猫が糖尿病になり、一日二回朝晩インシュリン注射を打たなければならなくなったので。入院はかわいそうだな、と思って。病院に行っただけで、びびって体が固まっちゃうからね、うちの老黒猫。まあ、そんなに長くはないだろうし。って、三年とか、この状態のまんまだったら、どこも行けないじゃん?
 
 今朝は、エアコンを旧寝室から新寝室へ移してもらうためエアコン工事業者のおっさんとその奥さん(だと思う)が来てくれたんだけど、いちいちいろいろ説明してくれてちょっと煩わしかったけどすごく面白かった。「なあ、お客さん。見て、このネジ。これ、西ドイツ製よ。一個百円。百円だぜ、このちっこいのが。これを扱ってる問屋は横浜中に一軒しかない。そのへんのいいかげんな業者が使ってんのはありきたりの安い日本製ね。あれ、ダメなんだよなあ。重みに耐えられない。たまに落っこちてくるんだぜ、エアコンが、どかんと、頭の上から。やっぱ、西ドイツ製にかなわないんだよ。ベンツ、BMW……なあ? 違うんだよ、西ドイツ製は。」とか。西ドイツ…って、と思ったけど、もちろん、突っ込まない。工事が終わった後も、おっさんとしばし、話し込んだ。おっさんは、いつのまにか我が家のリビングルームの床にあぐらをかいて座ってる。なにを話し込んだかって? そりゃひたすらエアコンについてだよ。世間話の類いは一切なし。すべてエアコンに係わるマテリアルな話。なのに、いつしか人生とか世界とかの話をしているような気分になっている。細部には細部の神が宿ってんだよなあ、きっと。いずれこういう小説を書きたいと思いました。

 ところで、エアコン選びの極意を教わった。あと、ネット販売オンリーの安い業者とか。エアコンを買い替えよう、とか思ってるきみ。まずはぼくに相談を。見積もり無料。

7.17.2008

夏の女たち

 多忙のため(ほんとです)、丸一日遅れになってしまったけど、二か月ぶりの「女たち」第10話〜ソノコを更新しました。お楽しみください……って変? 楽しめるかどうかは知りませんが、ぜひともご笑覧ください。
 近々FOILさんのほうから正式な告知があると思いますが、じつは今回がウェブ上で発表する最後の「女たち」になります。これらの十話に、プラス何話か書き下ろして、十月頃、単行本化される予定です。ウェブ上で読むのは苦手、という人もたくさんいたはずだけど(実際、何人もの友人にそう言われました)、根気よく読んでくれてありがとう。本は、もちろん縦書きだからね、また違った雰囲気を楽しめると思う。それに、なんといってもFOILさんだからさ、カッコいい本に仕上がるんじゃないかな。楽しみにしていてください。

 それにしても夏だね!夏。いや、じつはあんまり夏って好きじゃないんだけどね、今年はいいかんじで夏に入ってる。どうか、みんなのところにも、素敵な夏が来ていますように。

 今日はさらっと。次からまた毒舌に戻ります。なんて。いつもさらっとさわやかに書けたらいいんだけど。

7.10.2008

とくべつな日本の私


 とくに書くことないんだよ。アメリカのネタはいくらでもあったんだけどね、ちとタイミングを逸したしね。まあ、タイミングなんてシカトして、書いてもいいんだけどね。書くか? 書こ。
 あのね、本屋さん。これはアメリカに限ったことじゃないんだけどね、というのはポルトガルの本屋さんもそうだったし、パリの英語の本屋さんもそうだったし、シンガポールの本屋さんもそうだった――、日本ではどんなに小さな本屋さんでも、日本文学と海外(翻訳)文学のコーナーは分かれてるでしょ。大きな本屋さんは海外文学をさらに国別に分けてたりするでしょ。これがね、ひょっとすると非常に日本固有のやり方かもしれないんだよね(断定できないのは、すべての国の本屋さんに行ったわけではないからーーあたりまえだけどさ)。アメリカ(に限らず、その他、前述のとおり)では、ジャンルにしか分かれていません。文芸Literature、ミステリーMystery、ロマンスRomance、あとSFとかTeenとか(もちろん、本屋の規模が小さければ、文芸とミステリーにしか分かれていなかったりもする――そう言えば、シカゴ大学生協書籍部は、ドストエフスキーもヴォネガットも三島もエルロイもジム・トンプソンもぜんぶ同じ棚だった)。で、それぞれが著者名のAtoZで並んでいる。つまり、だ。例えば、Kの欄には、Kafka(,Franz)が、Kawabata(,Yasunari)が、Kerouac(,Jack)が、Mの欄には、Maugham(,W.Smerset)が、Miller(,Henry)が、Murakami(,Haruki)が、入ってるわけ。わかる? おれのいいたいこと?(なんか、かんじ悪、きょうのおれ。)要するにね、アメリカの国内文学である(=翻訳ものではない)ケルアックやミラーが、海外=翻訳文学であるカフカや川端康成や村上春樹と同等に扱われているの(サマセット・モームはイギリスの作家なので、アメリカにとって海外文学でありながら翻訳ものではない、という変なカテゴリーになるんだけど)。国内か海外かはどうでもよくなっているんだよ。最初に何語で執筆されようが文芸は文芸じゃん、という。ひいては、読者も(おそらく)英語ものか翻訳ものかなんてあんまり気にしなくなるよね。だって、ボルヘスBorges(アルゼンチン)の並びにブコウスキーBukowski(アメリカ)があったり、カポーティCapote(アメリカ)のならびにチェーホフChekhov(ロシア)があったりするんだから。おれSakurai(日本)の本がいつか英語に訳されたらサリンジャーSalinger(アメリカ)やサルトルSartre(フランス)と同じSの欄に入るんだぜ! これって素晴らしいことだと思うな。それに比べて、ここ日本では、どうして日本文学のことをこんなにも特別に考えるんだろうね。繰り返しになるけど、日本では図書館でも本屋でも絶対(100%)に、日本ものと海外ものは別の棚に置かれてる。だから、読者も「翻訳ものは苦手!」とか「やっぱ日本人じゃないと感性がねえ」とか平気で言うようになるんだよな。これはあんまりいいことじゃないと思う。
 日本人が日本人や日本社会や日本なんとかを特別に考えているらしい、もうひとつの例をついでに。ずいぶん前(…前というよりは昔か――まだ万引きとかしてた頃)に、おれはすごいことに気づいたのだ。日本の出版社から出ている世界地図帳には日本が載っていない!と。日本は世界に含まれないのか! そのことに気付いたきっかけは、イギリスとかスペインとか、まあどこでもいいんだけど、それらの国とおおよそ同じ縮尺で日本を見てみたいと思ったの。バルセロナとマドリッドの距離感って日本に置き換えると東京と何処くらいの距離感なんだろう、とか、イビサ島って日本の島でいうとどのくらいの大きさなのかなあ、とか知りたくなってね。ところが、今言ったように、日本の世界地図帳には、日本のページはないのだ! 日本の地理を知りたかったら日本地図帳を見なくてはならない。見ればいいじゃん? いや、ダメなんだな、この目的のためには。なぜって日本地図帳では縮尺があまりにも違いすぎて、まったく別世界のようになってしまうから。あれ~世界地図帳ってそんなもん?とずっとひそかに思ってて、ついにイギリスに行った時にイギリスの出版社から出ている世界地図帳を買った。すると、ふつうに、あたりまえのように、イギリスのページがあって、他の国や地域と同じように、同じような縮尺で載っている。べつに自分の国だからって特別扱いしてないわけ。そして、当然ながら、日本のページもあって、おれは、このイギリスの世界地図帳で、はじめて世界地図帳的縮尺ともいうべき大きさで載っている日本を見たのだった。

だから何って?(こういうこと言うやつは嫌いです、ちなみに) まあ、言いたいことはあるんだけど、この先はちゃんとロジックを組み立てていないので、タオルを投げるけどさ(ハハハ!)、生理的なことを言わせてもらえば、気持ち悪いのだ、日本における日本の特別扱いが。だって、自分のことを特別な人間だと思ってるやつって気持ち悪いじゃん。おめでたいじゃん。俺ヤザワ、そーゆーこと。みたいなのは、まあ、面白いから、いいけど。

写真はニューヨーク近代美術館(MoMA)にて。